あなたは決して見つからない

テレビのドラマや映画館で映画などを見ている時に、その物語の中の演者が急に観客であるこちらを指さして、何かを強い口調で言ってきたら、誰だってビクッとなるものです。

なぜなら、観客はその物語の中にはいないつもりでいるのに、自分の存在が見つかってしまったと感じるからですね。

もちろん演者はただ単にカメラに向かって何かを言っていただけなのですが、絶対見つからない自分の存在がバレてしまったと感じて驚くわけです。

私たちは、多かれ少なかれ自分の存在が誰かに見られてると思っただけで、微妙に自然体ではいられなくなるものです。

人の視線が気になってしまうというのも同じことです。見られるということで、あらゆる判断をされることを恐れているのです。

そこから自我の防衛が始まるわけです。そうしたことから解放されたらどれほどゆったりすることができるでしょうか?

実は大変幸運なことに、私たちの本質は決して人から見られることはないという事実があります。映画館の観客と同じで、(人生)物語とは違う次元にあるため決して見られる側にはなり得ないのです。

それはただ見るだけの存在なのです。それが観照者としての自己です。姿形も何もなく、大きさも位置もない荒唐無稽な非存在。

だから自我としての自分がどれだけ人の目が怖いと感じたとしても、そんなもの放っておけばいいのです。

本当のあなたは、物語の現場から距離ゼロのところに在るのですが、決して物語の中に入っていくことはできないし、見つかることもないのですから。