個人という狂気

自我の根本的な病みとは、自分は他と切り離された独立した存在だという信念を持っているところだと思っています。

その自我のほんの一瞬の隙をついて、全ては繋がっている、分離など存在しない、全ては一つという感覚を体験した人も多いのではないでしょうか?

会社員時代の同僚の男性が、あるときガンの告知をされて病院からの帰り道に、道端に生えている雑草と一つになるという体験をしたそうです。

きっと彼の自我が前途に絶望してしまったために、ほんの少しの間だけ自我の不在状態になったのでしょうね。

だから全ては一つだという感覚になったわけです。彼はその後、誤診だったことがわかり、晴れて明るい自分を取り戻したそうですが。

かつてスピリチュアル系の人たちの間で、ワンネスという言葉が流行ったことがありましたが、これも同じことですね。

私の場合は、少し傲慢に聞こえるかも知れませんが、全ては一つというよりも、自分が全てだったという驚きに近いです。

もちろん、その自分とは自我のことではなく、純粋な意識のことを言っているのですが。何であれ、個人という狂気を、驚嘆の気持ちで眺められるようになるといいですね。