信念が邪魔をする

私たちのマインドというのは、誰のものであれ同じ仕組み、同じメカニズムで動いているというのが私の考えの根っこにあります。

それなのになぜ、個人個人で考え方や生き方が大きく違うのでしょうか?そこにはさまざまな要因が隠されていると思うのですが、その中の一つである信念について考察してみようと思います。

信念というのは、強く信じ込んでしまった考えのことです。つまり単なる思考には違いないのですが、その思考が信念のレベルまで固められると、本人にとっては真実となってしまうのです。

そのために、その人の人生に大きな影響を与えることになるのです。信念の一つに、自己イメージというのがあります。

自分とは◯◯に違いないという信念とマッチするものは受け入れて、異なるものは受け入れられないのですから厄介です。

ということは、生きれば生きるほど信念は更に固くなってゆくため、年齢を重ねてから信念をアップデートすることがどれだけ大変なことになるか、想像に難くありません。

私たちが自己イメージに縛られて生きていかざるを得ない理由がここにあるのです。自己イメージの他にも、私たちはたくさんの信念を持っています。

その人に特有の正しさ、正義感、倫理観や道徳感、その他にも私たちが持っている信念はそれこそ多岐に渡るのです。

私は本質的には信念不要論を標榜しています。何かを信じるだけでもそれに縛られてしまうのに、それが信念のレベルにまで固められれば、そこからやってくる縛りは相当なものになるのです。

私のモットーである、より自然に、より自由に生きるということを実現するために、最も邪魔になるのが信念ではないかと思っています。

一度持ってしまった信念を簡単に無くすことはできないのですが、そのことを知って不要な信念を使わずに生きるということはできる気がしています。

自分が持っている信念をできる限り洗い出して、その馬鹿馬鹿しさに気づくことができれば、その信念から離れて生きることができるかなと思っています。