昨日のブログでは、信念が自然で自由な人生を妨害しているということについて書きました。今日はそれの補足になります。
というのも、信念は自分の信条や確固とした生き方のためには、絶対に必要なものだから決して悪いものではないと思っている人が大勢いると思うのです。
なので、一つ事例を挙げて話してみたいと思います。例えば、あなたが「弱音を吐いてはいけない、強くあれ!」という信念を持っていたとします。
するとどうなるでしょう?この社会という荒波の中で負けずに強く生きていくためには、必要な良い信念のように捉えることもできますね。
けれども、深く見つめて見れば分かるのですが、もしも幼い頃からこんな信念に乗っ取られてしまえば、辛く苦しい人生が待っているのは当然なのです。
人間は元々弱い存在です。特に幼い頃というのは無力で弱虫で、一人では何もできないか弱い存在なのです。
そのころに、親などから弱音を吐いてはいけない、強くあるべき、という信念、正しさを与えられてしまったら、自己否定とともに生きる人生が待っているはずです。
そして、何か不満があったとしても自由に自己表現することもできなくなってしまいます。なぜなら、それは弱音を吐くということに繋がる感じがしてしまうからですね。
もうお分かりだと思いますが、弱音を吐くことは別に悪いことではなく、いたって自然なことなのです。
強くある必要はなく、自然で自由であればいいのです。信念はなければないだけいいということを、少し実感してもらえたかなと思います。