次のosho の言葉を味わってみて下さい。
『あなたは源からやって来た。奥底では、あなたは今だにその源の中にいる。ただ表層部にいるだけだ。あたかも枝が根のことを忘れてしまったかのように……根から切り離されてしまったわけでない。そうでなければ枝は生きていられない。ただ忘れてしまっただけだ。』
忘れてしまうことを無意識と呼ぶのです。本当はその源でしかないのですが、それ自体について無意識になってしまっているということです。
無意識状態のままに夢を見ているようなもの。枝にとっては、土の中に隠されている根のことは見ることも触れることもできません。
それはちょうど、夢の中の自分がベッドの中で眠りながらその夢を見ている本当の自分のことを忘れているのと同じなのです。
私なりの表現を使えば、表層部の自分とは海面で必死になって溺れないように手足をバタバタさせている姿のイメージなのです。
そして本当の自分は、その姿を海底深くの静寂の中から穏やかに見守っているイメージです。海面も海底も同じ海として繋がっているのです。
万が一、あなたが海面で疲れ果てて溺れてしまい、静かに海底まで沈んでいくなら、その時には海底にいる本当の自己と出会うことになるでしょうね。
そうだと分かっても、誰も海面で溺れようとは思わないものです。だから自我はこれからも続いていくことになるのですね。