瞑想と祈り

今日も osho の言葉から始めさせてください。

いつも心にとめておきなさい
瞑想的であること
祈りの心を持つこと
瞑想を通して空虚をつくり出し
祈りを通して、その空虚を満たす愛をつくり出すのだ
そうすれば、空虚が、溢れ出る愛になる

瞑想的であること、これはなるべく心掛けていることとして、自分の中ではその通りと納得するのです。

けれども、祈りの心を持つというのは、これまでの人生ではあまり触れてきた記憶がないのです。ここでいう祈りというのは、どうか◯◯をお願いします…、という類のものではありません。

私なりの解釈では、祈りの対象が何か特定のものに向かっているようなものではないというように捉えています。

自分や大切なひとに向かう祈りも素晴らしいのですが、ここでの祈りの心というのは、我を忘れる感じ、それと大いなるものへの感謝の気持ちもあるように思います。

あちこちの神社を訪れて、その素晴らしいエネルギーに触れさせてもらえる動画チャンネルがあったので、最近それを時々観るのです。

その時に自然と、あぐらをかいて合掌するようにしていたら、いにしえの自分の姿とダブった感じがして少しびっくりしました。

それで感じるのが上で述べた祈りのようなものなのかなと。合掌などしたことがないので、新鮮な感じがしてこれはこれでとても心地いいのです。

瞑想による空虚さと祈りによる愛、その二つが共にあれば他にはなにも要らないのかもしれませんね。