思考は全部が自動思考

またまた昨日のブログの続きなのですが、昨日認識できる自動思考を止めることができたとしても、意識には上がってこないところでずっと思考は活動し続けているのではないかと書きました。

これって、よく考えてみたら当たり前のことではないかと気づいたのです。というのも、そもそも私たちは思考に対して間違った感覚を持っているのです。

それは、自分が考えているという感覚です。自分が運転している、自分が驚いてる、自分が食べている等々。これ全部、同一化が招いた錯覚なのです。

思考は左脳が起こしている活動なのです。それを「自分が」という主語をくっつけることで、横取りして自分が考えているような気になっているということです。

つまり、思考は全てが「自動」思考だったということです。自分が関与していない活動なのですから、自動というわけです。

それなのに、自分が考えようとしていないのにやってくる思考があるから、それを自動思考として特別なものと捉えてしまったわけです。

では、自分が認識できないところで動いている思考を止めるにはどうしたらいいのか?これは止めることもできないし、止める必要もないのです。

逆に止まってしまったら、廃人のようになってしまうかもしれません。頭の中をシーンとさせたいというのは単なる比喩です。

隣の住人が非常識に大きな音を立てて迷惑であるなら、それは直接なんらかの方法でやめさせる必要がありますが、それが自動思考を止めるということ。

一方隣の住人の一般的な生活音が気になるなら、それを止めることは不可能なので、自分が距離を取るしかないのです。

つまり、意識に上がってこないような思考の活動が気になるのなら、そこから距離を取るようにすればいいということです。

分かってきました。勝手にやってくるうるさい自動思考については、自分が意識的であることでそれに飲み込まれないようにできるし、それを止めることもできます。

さらに意識的であることで思考との同一化に気づいていること。その上で、なんらかの方法で思考から距離を取ることができれば、シーンは自ずとやってくるのかなと。

まだまだ先は長そうです。