最近よく聞くようになったのが、普遍的な意識こそがこの宇宙の本質に違いないと言ったような話しですね。
もっと昔からあったのかもしれませんが、近年では科学者の一部からもそのような内容の考え方をする人が現れていたりします。
要するに、一般的な科学の考えとしての、「物質→脳→意識」という順番ではなく、その逆にまず意識があって、そこからさまざまな物質が現れるのだと。
このことは、現代の科学が意識を探究する上で、行き詰まってきてしまっているということを物語っているように思います。
ところが、意識ありきという発想はいいのですが、それでも二元的な考え方からは抜け出せずにいるように感じるのです。
というのも、普遍的な意識とは別の、私たちが持っている個々の意識についてもその存在を認めてしまうからです。
自分の意識がなぜ他人の意識と別れてしまっているのか、そこについては表面上の分離という苦し紛れの言い訳を使っているのです。
二元の発想のままでは仕方のないことですが、そこからなぜか非二元の方にまで発想を持っていくことをしないのですね。
全てを諦めて非二元という真正直な世界に足を踏み入れてしまえば、楽になることができるのになあと思うのですけどね。
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こちらの動画も是非ご視聴ください。


「自分の意識がなぜ他人の意識と別れてしまっているのか」という部分がありますが、結局これはなぜですか?
感覚や思考や感情がありますよね?
そしてそれらは感知されていますよね?
それを「意識」と呼ぶ人もいるし「全体」と呼ぶ人もいますが、
呼び方は何でもいいのですが、「意識」或いは「全体」が、この身体に、或いはそれぞれの身体に起こる感覚、思考、感情を感知しているのですか?
感覚、思考、感情が現れた時点ですでに「私」という感覚がくっついているので、それらが感知されているということですか?
でも感知されている時点ですでに「私」で、「私」しか分からないので、現れている「私」側からすると、別の意識を持った個体が存在すると思ってしまうのでしょうか?
でも本当は何かが何かを感知するという二層構造ではないんですよね?感知する側も感知される側も本当はないのですか?
うまく言葉にできていなくてすみません。
私もかつてこの疑問に取り憑かれていた時がありました。
それぞれの身体に起こる感覚、思考、感情というのがそもそもないということです。
それは、そういう想定をしているだけで、それを信じてしまっているということですね。
なぜそうした想定をしてしまうのかというと、あなた自身が自分の個別の身体に起こる感覚、思考、感情を自分独自のものだと
思い込んでいるからなのでしょうね。
その前提を疑ってみてください。検証してみてください。
そこからこの疑問は消えていくことになるはずです。
回答いただきありがとうござます。
この検証というのが、いつもどうも的外れに終わってしまうのですが、
あきらめずにやってみます。