「自分」とは他人によって作られたもの

私たちは、赤ちゃんとして産まれてからずっと、周りにいる両親やその他の大人たちから常に働きかけられながら成長していきます。

来る日も来る日も、言葉をかけられ、抱っこされて、オムツを変えてもらったりしながら、毎日を過ごしていきます。

要するに、そうやって見られたり、聞かれたり、触れられたりして、認識されることを繰り返していくうちに、その認識の対象としての「自分」がいるという思考を作り上げるのです。

勿論、「自分」を作っていくその過程において、最も役立つものといえば、一つの身体です。その身体こそがみんなから認識される「自分」なのだと思い込むのです。

「自分」という身体には、名前も与えられていて、より一層他の誰かとは明確に区別することができるわけです。

そうして、気がつけば立派な一人の人物としての「自分」が出来上がるということになるのです。つまり、人からの認識こそが「自分」を作る原点だったということです。

私たちは、普段このことを忘れてしまっているかもしれませんが、自分以外の誰かから知覚されることがなければ、「自分」は出来ずじまいなのです。

もっと端的に表現するなら、この自分とは他人からの認識の積み重ねに他ならないのです。人からの知覚の総和であるということです。

確固とした自分が絶対的な存在として生きていると、そう思い込んでいるかもしれませんが、実際には「自分」という人物はみんなの知覚が作り上げたものだということです。

それほど、曖昧なものです。そういうことを意識しつつ、この「自分」を深く見つめていると、確かにそこにはナニモノもいないということに気づかされます。

結局、私たちはお互いがお互いを作り続けているのですね。自分独りだったなら、決してこの「自分」が出来上がることはなかったのです。

このことが分かると、本当の自分がこうして作り上げられた「自分」ではないということにも気づくはずです。