この世のすべては結果でしかない

この世界はすべてが結果で満ちています。何の結果かといえば、あらゆるものの源泉であるパワーが起こした現象としての結果です。

それなのに、私たちは常にこの世界の中に、その結果の基となる原因が必ず存在するのだと信じているのです。

残念ながら、私たちに唯一の原因たる源泉を知ることは不可能です。もっと正確に言えば、私たちの思考によって源泉を捉えることはできないということです。

けれども、思考は原因を見つけ出そうと探し回るのです。そして、勝手な解釈を作り出しては、原因を見出したと信じて、そこで自分は理解したとするのです。

思考による理解とは、所詮そういう独りよがりのものに過ぎません。その思考を一時的にであれ停止してしまえば、あらゆることが結果だという直接体験をすることができます。

そこには因果関係というものがありません。ただ、起きているとしか言いようがないのだということを直接知ることになります。

原因だと思えたことも、実は源泉のパワーによって引き起こされた事象であり、それも結果でしかないということ。

このことに気づくと、それまでいかに自分の思考による身勝手な解説をし続けてきたかということを、思い知らされることになります。

思考は単なる解説であって、いかなることを起こすパワーもありませんし、だからどんな結果に対する原因にもなりようがないということです。

自分が何を思考するかということすら、源泉によって引き起こされた結果なのですから、この宇宙のあらゆる現象と何の違いもありません。

そして、私たちが自分は個人としての意識だと信じているのは、実は思考に過ぎません。つまり、個人も単なる結果として起きている事象だということですね。

個人の意識を絶対的な意識に向ければ、それこそが真に唯一の結果ではないものだということに気づくはずです。そして、その純粋な意識こそが源泉であり、真の自己の姿なのでしょう。