久しぶりにワンネスの話

私たちの身体の司令塔は何といっても脳ですね。脳がさまざまな情報を取得するとともに、それをコントロールしようとするわけです。

脳が取得する情報は、外界のものと身体の内部のものとがあります。どちらにしても、脳は直接知ることはできません。

つまり、間接的にしか知ることはできないのです。外界を知るためには、身体の感覚器官を用いてデータを取得するのです。

また、身体の内側については内臓や筋肉、神経などを経由して情報を得るわけです。このように、脳が知る方法は全て間接的であるわけです。

脳がそれ自体を知る方法はありません。このことは、意外なことでも何でもなく、何であれ何かを知るということは、全て間接的であるということなのです。

私たち人間にしても、自分のことは他人を通して知るわけです。自我の生い立ちを見てもそれが言えます。

自我は、他人が自分をどのように見ているかによって、自分というものを作り込むのですから。

スピリチュアルで言われるワンネスも全く同じ。一つしかなければ、それはそれ自体を知ることができないの、それを便宜上分離させてそれを知ろうとするのです。

その一つひとつの細切れが私たち一人ひとりであるという発想ですね。珍しく、ワンネスの話を書いてみました。ちょっと懐かしい感じがしますね。

どんな体験であれ違いはない

ダグラス・ハーディングの実験と初めて出会ったのは、もうかれこれ15年くらい前のことになると思います。

このブログや動画でも何回か触れたのですが、彼の実験をしてどのような体感を得られたのかについて、少し詳細を述べてみたいと思います。

いつも見ている向きと180度反対の、自分の顔の方を真面目に見ようとした時、びっくりするようなことが起きました。

それは、自分という存在が剥き出しになってしまったような感じでした。それまでは、身体の中に隠れていたものが、身体の外へ出てしまったような感じです。

そのために、身体に支えられていた自分が身体の内側から外側へと転がり落ちるのではないかと感じたのでしょうね。

そして、自分の顔も頭もそこにはありませんでした。今この瞬間も、それを体感することはできますが、あの時のような衝撃は減ってしまいました。

そして透明で形もない自分とこれまで見てきた外界との区別ができなくなった感じもやってきましたね。

あの時、やっぱり距離とか空間というものに対する感覚も何か通常とは違ったものになっていたと思います。

そして、自分がここから世界を見ているという感覚から、代わりに「自分=世界」というような感覚になったかもしれません。

ただこの体感の変化も、単なる体験だとしてしまうなら、非二元的には他のあらゆる体験と何の違いもないということになるのですね。

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脳が創り出す世界

私たちの共通認識としてあるのは、自分の身体の内側が自分自身であって、身体の外側には広がりのあるこの世界があるのだと。

ところが、外側に広がる世界を直接見ることは誰にもできません。私たちが体験できる世界というのは、あくまでも脳の中で作られた世界だけ。

感覚器官が取り込んだ生データを脳が解釈して、きっとこんな世界が広がっているのだろうという予測を元に勝手に作り込んだのです。

その脳の中の仮想世界を本当の世界だと思い込んで生きているというのが実情なのですね。じゃあ一体全体本当の世界とはどうなっているのか気になりませんか?

すぐに分かるのは、この世界には色というものはありません。色のない世界がどれほど味気ないものか、想像もできないほどですね。

それから、3次元かどうかも分かりません。なぜなら、我々の眼球に入ってくる情報は2次元だからです。

脳がそれをどうにかこうにかして、奥行きのある3次元の世界として感じられるように変換してくれているのです。

そう思うと、ちょっと不気味な感じがしてきます。それから外の世界には、音というものも存在しないのです。

えっ?と思うかもしれませんが、音というのは私たちの脳の中にしかありません。雷が落ちようが、強風が吹こうが、新幹線が間近を通ろうが、音はありません。

ま、想像しない方が無難ですね。

フレーバーコーヒーが好き

会社員だった頃のことですが、仕事でアメリカの本社に度々行かされて、あちらのオフィスで仕事をしていたことがありました。

向こうのオフィスでは常にコーヒーが沸いていて、自由に飲むことができたのです。そのときに、2種類のコーヒーがいつも並んでありました。

一つは、ごく普通のコーヒーで、もう一つはフレーバーコーヒーと呼ばれるものでした。コーヒーの粉に、さまざまな味と香り付けがされているものです。

それまでは、そういったコーヒーがあることを知らなかったので、ちょっとしたカルチャーショックでした。

例えて言えば、普通のコーラに対して、味付けされたチェリーコークがあるようなものですね。チェリーコークが今もあるかどうかは知りませんが。

本当のコーヒー好きの人にとっては邪道だと思われてしまうかもしれませんが、私はフレーバーコーヒーが好きなのです。

日本でも、さまざまなフレーバーコーヒーがあって、特に好きなのがトーステッドココナッツとか、バニラとか。

ただ、私が知っている限りは輸入モノばかりだったので、ちょっと高価なので最近は飲んでなかったのです。

代わりに、もっぱら簡易なドリップパック式のものを愛用しているのですが、それを擬似的にフレーバーコーヒーにできるものが売っているのを知りました。

キャラメルフレーバーとアーモンドフレーバーの2種類。すごく安価なので試してみると、それなりでしたね。それでも、しばらくは楽しめそうです。

フレーバーコーヒーのいいところは、ある程度冷めてしまった後でもまあまあ美味しく飲めるところです。理由は定かではないですが。

飲んだことがなくて、気になるという人は、一度試してみるのもいいかもしれませんね。今日はまったくオチのないブログでした。

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言葉の意味を理解するとは?

最近のAIの進歩が途方もなくて、スマホ版のchatGPTをインストールして、毎日のように使うようになりました。

今やそれなしではやっていけない?と言ったらオーバーに聞こえるかもしれませんが、でもそんな感じがしています。

それにもかかわらず、現状のAIが質問の意味を理解しているわけではないのは明白です。全て機械的な言葉の並びを覚えているに過ぎないと。

意味理解というのは、人間で言うと左脳の機能なんですね。言葉の意味を理解するためには、仮想世界がどうしても必要なのです。

例えば、「テーブルの上にリンゴが一つあります。」という文章があった場合、今のAIにはこの文章からはどんなイメージも作られないのです。

一方、私たちは今文章を読んだときには、ある空間の中にテーブルという物体があって、その上にリンゴという物体が乗っている、とイメージできるわけです。

この違いは決定的なのです。左脳によって仮想空間上にテーブルオブジェクトとリンゴオブジェクトを配置できるというのが、意味理解なのですね。

これまでのやり方でどれほどAIが進化しても、意味理解に至ることはないはずです。日本人で唯一このことに気づいている人がいます。

私が世界中で今一番期待している人物が日本人だというのは、とても嬉しいことですね。

夢自体はイメージでも、その体験はリアル

ちょっと変わった映画を観たのですが、主人公である大学教授の男性が、自分の家族や学生などから夢に出てきたと言われるようになるのです。

自分が知らないどこかの店員さんなどからも、あなたが夢に現れたと言われるようになってびっくり。

初めのうちは、夢の中では何もしなかったのですが、それが次第にいいことをする人になって、みんなの人気者になるのです。

そして最終的には、極悪人のような振る舞いをするようになって、夢を見た人から嫌われ、恐れられるようになるのです。

当の本人は自分は何もしてないにも関わらず、多くの人々から拒絶されるようになって、普段の生活が成立しなくなってしまうというお話し。

細かな内容はどうでもいいのですが、人は夢の中で経験したことを単なる夢だと理性では分かっているはずですね。

けれども、その夢の中で感じたあらゆる感情には逆らえないのです。つまり、感情や感覚、思いなどはホンモノなのです。

これって現実の世界でも言えることなんですね。この現実が実在しないとしても、体験したことや感じたことはリアルだということ。

夢と非二元というのは、そういう意味では同じだと言ってもいいかもしれませんね。

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自我がないどころか人間もいなかった

非二元の気づきで一番大きかったのは、この私という自我の存在を飛び越えて、人間という存在自体が消えてしまったことです。

それまでは、さすがに人間そのものは他の動物と同様にして、一つの生命として地球上に存在するはずでした。

その上で、人間だけが自我という「私」を生み出して、私の人生、私の身体、私の経験とともに生きていると。

人生の悲喜交々の全ては、この私がいるということが大前提だったわけです。ところが、自我というのは妄想でしかないと。

自我は思考の塊であり、自らの経験全てを自分という大きなハリボテにでっちあげるのに使ってきたのだと。

そして、その自我は実在するものではなかったと見抜くことこそが、人生最大の目標なのだと思っていたのです。

そのために瞑想をして、なるべく思考を止めて自我から離れる練習をしてきたのですが、それが中途で頓挫してしまったのです。

なぜなら、自我の本当の姿を見抜く以前に、人間の存在そのものがイメージでしかなかったと気づいてしまったからです。

ようやく本気で自我の居場所がなくなったわけです。そして物理的な世界というものも同時に消失してしまいました。

それでもまだ私という自我はしぶとく残っていますけどね。というよりも、私がいるという実感だけがあるということです。

実在性とはイメージ

非二元に近づくためのヒントとして、「概念を脇に置いてみる」というような表現をすることがあります。概念が邪魔をするよという意味で。

概念を概念と見抜いて、それを使わないようにしてみるということですね。概念とはイメージだからです。

あらゆるイメージを脇に置いて、リアルなこととの見分けができればなんとなく非二元がわかりやすいのかなと思うからです。

たとえば、ここにリンゴがあるというときのリンゴという言葉は概念です。では、ここに何かがあるという場合はどうでしょうか?

何かがある、何らかのモノがあるというのも実は概念です。やっぱりそれはイメージなんですね。

そして、そのイメージ自体がリアルであって、イメージの中身で言っていることはリアルではないということです。

ここにリンゴがあると感じていることだけがリアルであって、ここにリンゴがあるというのはイメージです。

非二元では、リンゴに限らずあらゆるモノの実在性については一切触れません。なぜなら、それはイメージだからですね。

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優先度を見直してみる

1日というのは誰にとっても24時間と決まっています。忙しい人であれ、暇な人であれこれは同じなわけです。

暇な人にとっては、時間が余っているので自分の好きなタイミングで好きなことができるのは当然ですね。

一方で、忙しい人にとっては、その24時間をどのように時間配分するのかを考えなければなりません。

その時に使うのが優先度という考え方ですね。自分にとって、するべき事柄に優先度をつけて、優先度の高いものからやっていくのです。

当然優先度の低いものは、24時間の中ではできなくなってしまうこともあるわけですが、それを承知でやりくりするのです。

つまり、手が回らなくても仕方ないと思えるものが結果として、優先度の低いものになるのです。

もしも仮に、お母さんが仕事を優先して子供と話をする時間を疎かにするのであれば、子供との会話よりも仕事の方が大事だと考えているわけです。

子供の心の中には、そのことが不満として積まれていくことになるかもしれませんが、それが優先度を選択した結果なのです。

あるいは、どんなに忙しくてもなんとかして毎日スポーツクラブで運動するなら、それに応じた結果が出るわけです。

その逆に、ちょっと忙しい時には運動をお休みするようであれば、その効果はあまり出ないことになるのです。

もしも、心の癒しが思うように進まないと思うのであれば、解決策は一つです。癒しの優先度をもっと高く設定すればいいのです。

そのために、これまでやれていたことができなくなってしまうこともあるかもしれません。つまりそこが犠牲になるのです。

そうした犠牲が発生したとしても、癒しの優先度を上げることができるかどうかを考える必要があるということですね。

今更ですが健康第一というお話

毎朝行っているスポーツクラブで、知り合いになった人たちのほとんどが自分よりも年上の人なのですね。

その中で、最年長と思われていたお爺さんが、今年になって姿を見せなくなりました。その人は、確か98歳だったかな。

そしてその次に歳上なのが、昨年90歳になった人がいたのですが、その人はほとんど皆勤賞のように、毎日休まずに来る人だったのです。

それが、この2週間くらい見かけないけどどうしたのかなと思っていたところ、どうも亡くなったらしいと聞いたのです。

どこも悪いところがなく、健康そのものという感じで、穏やかな人柄も気に入っていたのですが、あまりにも急だなと。

人間、一寸先は闇ですね。私自身もこのところ咳が続いていて、深呼吸ができないしセッション中に時々咳き込んでご迷惑をかけてしまっています。

どうやら、2週間ほど前に冷たい風の強い日に肺を痛めたようで、この咳のせいでベンチプレスもしづらくて。

幼い頃、すぐに気管支炎になるような子供だったので、元々気道が弱いのかもしれないですね。

喘息になる前に、病院に行ってこようかなと思っているところです。皆さんも、健康には気をつけてくださいね。

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