2つの真逆な感覚

全体性という言葉を使うようになって、すでに10年は経っていると思うのですが、その感覚はもっと以前からあったものです。

というのも自我(個人)が目覚める以前の幼児期には、誰であれ全体性の感覚だけで生きていたからです。

それをうっすら覚えているか、あるいはすっかり忘れてしまったかの違いでしかないのです。要するに程度の差だけなのです。

ただ今の私にとってはとてもとても大切な感覚として戻りつつあるのです。それは「遍在」している感覚とも言えるのです。

一方で私たちは個人として存在していると信じているので、「偏在」しているという感覚があるのです。これは個別性(局所的)という意味です。

つまり字は似ているのですが、両者は全く真逆の意味を持っています。だからこそ不思議なのですね。

この両者の違いをもう少し具体的に表現するなら、個人(人間)としての私は、この小さな身体の内側にいるのです。

その外側に出ることは許されず、閉じ込められた状態であり、外側には広大な宇宙が広がっているという感覚。

一方の全体性(遍在)は、こちらから見える世界は奥行きがなく、代わりに内側が無限に広くて、実は自己の中に宇宙が包含されている感覚。

本当にどこをとっても真逆なのです。それが私の中で両立しているのだから不思議なことです。

残念ながら普段は個人側で生きてしまっているので、もっともっと遍在側で生きられるように練習する必要があるということですね。

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