人生は壮大な実験場

信じない心よりも信じる心の方が良いように感じてしまうのは、一体どんな理由からなのかと考えてみたのです。

あまり定かではないのですが、もしかしたら人は自分のことを信じてもらえないよりも信じてもらえる方が嬉しいので、そこからきているのかなと。

だから物事を信じる人は純粋で好感が持てるということになったのではないかと思っています。けれども、信じることは大変危険なことです。

人を信じたばっかりにその人に裏切られて、酷い目に遭わされたなんてこともあるからです。その最たるものが信仰です。

信仰心というのは、死の恐怖からやってくるのです。信者をたくさん抱えているあの聖人の言うことだから、信じていれば間違いない。

そうして、信仰は人を盲目にさせてしまう力を持っています。決して信者になってはいけません。対象となる人がどれほど素晴らしい人であろうと。

問題は対象となる人ではなく、信じてしまうことそのものにあるからです。信じるとは、自ら検証することを放棄してしまうことなのです。

信じてしまえば、その先にはどんな探求も必要なくなってしまうからです。それは信じないということと同値です。

どちらも自分の人生をかけて実験することを回避してしまうのです。人生は壮大な実験場であることを忘れないことですね。

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