死を持って生きる

昔から言い古された言葉ですが、「失ってみて初めて気づく」というのがあります。特に、自分にとって大切なものであればあるほど、その衝撃が大きいのです。

それがモノであれ、人であれ、環境であれ同じです。日本に避難してこられたウクライナの人がなんでもない平和な毎日の尊さ、ありがたさが分かったと。

病気になって初めて健康のありがたさが分かったという経験は、誰でも一度や二度はしているはずです。

ここから学べることは、失う前にその大切さを十分に気づいているなら、かなり生き方が変わるはずだということです。

では自分の命はどうでしょうか?人生の中で、絶対に100%確実なことは死ぬということ以外にはないのではないかと。

それだけ確定していることなのに、その時期が分からないということをいいことに、普段は死を見ようとしないで生きているのです。

私くらいの年齢になると、自然と目の前をチラついてくるので、無視もできなくなってくるのですが、若いうちは話題にするのも嫌うのです。

確かoshoが言っていたと思うのですが、人間というのは途方もなく感謝ができないと。ただ生きて在るということの大切さ、ありがたみに気づかないということです。

命への感謝を感じつつ生きるためには、死を目の前に見据えているということ。死にゆく瞬間に意識的でありたいと思うようになりました。

そのためには、普段の生活の中で意識的であり続ける必要がどうしてもあるのです。日頃の練習の成果が死ぬ瞬間に役に立つからです。

そんな感じで意識的である練習をすることで、いつも死の瞬間を想起できるという特典もついてくるのですね。