進路を絶たれる経験

人生では成功することもあるし失敗してしまうこともありますが、どちらがより気づきを得ることになるかと言えば、勿論失敗した時だと思っています。

成功は嬉しいけれど、失敗は辛いです。けれども、その辛さが骨身に沁みるほどであればあるほど、そこから大切な気づきを得ることができるのです。

ブッダが6年もの間、あらゆる難行苦行を経験した後に、少しも変わることができなかったとして心の底から挫折したのです。

その大きな大きな失敗のおかげで、自我が落ちていってくれたのです。自我が観念したのです。それで覚醒することになったのですね。

親鸞聖人が、阿弥陀仏の慈悲を信じてひたすら念仏を唱えれば、本当の幸せを手に入れられると説いたのも、実はその前に決定的な挫折をしたからです。

比叡山で散々修行をした結果、1ミリも煩悩が減ることはなかったとして、一人その修行を中座して山を降りてきてしまったのです。

そういったとてつもない大きな失敗によって、心底自力では無理だと悟ったからこそ、他力本願を推奨するようになったのです。

だから、一般人が言われるままに念仏を唱えたところで、そうは問屋がおろさないということになるのです。純粋な帰依の状態にはなれないのです。

徹底的に打ちのめされるような失敗をすることで、人は確実に路線を変えることができるようになるのですね。