疑うことの大切さ

おすすめにあがってきた動画の中に、チャネリング関連のものがあったのでたまたま観てみたのですが、結構面白い。

その中で、チャネラーの方がいうには、私たちの奥深くにある信念が「これは現実、これは現実」と強く唱えているために、この世界があたかも現実であるかのように思えるのだと。

ほう、なるほどですね。だとしたら、「これは幻想、これは幻想」と繰り返し唱えるようにしてみたら、もしかしたらこの世界の見え方が変わってくるかもしれませんね。

いずれにしても、この世界をどのように見ているかというのは、確かに信念というフィルターを通して見ているに違いないのです。

マインドの奥には、さまざまな信念が埋め込まれていて、その頑固さは尋常ではないのです。自分は身体の中にいるとか、自分は個人だ、自分は◯◯だ等々。

もしもどんな信念も通さずにあらゆるものをあるがままに見て、感じることができたなら、どれほど違ったものを見ることになるのか。

どうしたら信念という色眼鏡をかけずに見ることができるのか?それには日頃から見たり感じたりしていることを、とにかく疑ってかかるということなのかなと。

例えば、自分というのは一つのまとまった存在だという信念がありますが、それに関してはある程度は、はずれてきている気もします。

あるいは時空に関してですが、宇宙は途方もなく広大だという信念がありますが、それについてもかなり強く疑っている自分ができてきた感じです。

疑うということは、どうも否定的なニュアンスを持っているように感じてしまいますが、実はとても大切な態度なのではないかと思っています。

あなたの存在とは無関係にこの宇宙は存在する…。これなどは、大いに疑ってかかる価値があると思いますね。