自我から離れると問題は消える

小学一年の頃、雨が降ると校庭で遊べないからなのか、授業開始前に上級生たちが教室にやってきて確か紙芝居などをやってくれてたのです。

子供心に、さすが上級生のお兄さんお姉さん達はすごいなあと感じていました。ところが、自分が上級生になった時には、全然大人になったとは思えませんでした。

中学生の頃は成人式を迎えたら、あるいは社会人になったら、すごく立派な大人になっているに違いないと思っていたのです。

けれども、やはり実際にその年齢になってみると、別にどうという変化もなく、以前と変わらないわけですね。

高齢者になったら、それこそ煩悩が小さくなったりしてきっと生きやすくなるに違いないと予想していたのですが、いざなってみると若い頃と遜色なし。

結局のところ、人間というのは自我として生きている限りは、年齢をいくら重ねたところで変わりようがないのだなと思うのです。

ところが年齢によって大した変化をしないのは自我として生きている部分だけであり、自我から離れた部分では、全く様相が異なるのです。

自我をみる側である純粋な意識としての自己の発見は、生きている感覚を次元の違うところへと持っていってくれたのです。

私の中でそれが明確になってきたのは、2011年当たりからだったと記憶しています。それが少しずつほんの少しずつ明確さを増してきていて、そこに戻ることができれば全ての問題は問題ではなくなるのです。

自我と真の自己の間を自由に行き来することができれば良いのですが、そういうわけにはいかないのです。きっとこのことが解決する前に死がやってくるのだろうなと。