下のようなジョウゴの中に小さな玉状のものを投げ入れたら、少しの間斜めの部分をクルクル回りながら、いずれは下へと落ちていくのをイメージできますね。
逆に言えば、落ちないようにするためにはある程度の速度で回り続ける必要があります。玉の回転運動による遠心力と重力が釣り合えば、そのままずっと落ちずにいられるのです。
なんでこんなイメージが出てきたかというと、私たちの自我ってちょうどそんな感じなのではないかと思ったからです。
回転運動とは、思考活動のことです。常に思考を使って何かを考え続けていれば、自我として成立していられるのです。
ところが、万が一思考が止まってしまえば、真っ逆さまに下へと落ちて消えてしまう運命にあるということです。それが覚醒ということです。
それが自我の正体です。それならなぜ、深い瞑想をして思考が止まったかのようになっても、おいそれとは覚醒することができないのでしょうか?
それは、マインドの中の無自覚の部分、一般に無意識とか潜在意識と言われている部分の中に吹きすさぶ思考の嵐がいつも渦巻いているからです。
その部分が静かにならない限りは、ジョウゴの下から落ちて自我が消滅することはないということです。
私たちが見る夢の正体がそれですね。だから覚醒した人はもう夢を見ることがなくなってしまうのです。
瞑想の訓練をして、表面意識を静かにすることはとても大切なことですが、それだけではいつまで経っても本当にはマインドを静かにすることはできません。
癒しによって潜在意識のエネルギーを小さくして、その中の思考をも鎮めてあげることによって、ジョウゴから下へと落下していくことができるのですね。