中学生になってすぐの時に、担任による家庭訪問というのがありました。先生が生徒の家を順番に訪問するというアレです。
当日先生が来るのを待っていると、やってきたかと思ったら家に上がるでもなく、ただやってきたという足跡を残しただけで風のように去っていきました。
それと連動しているのかどうかは定かではないのですが、記憶では一週間もしないうちにその先生は学校から消えていきました。
そして突然違う先生が担任としてやってきたのです。どんな説明もなかったのではないかと思うのですが、とにかく今度の先生はちょっと陰気な雰囲気の男性の先生。
教室の黒板の上のあたりに、「無」という感じ一文字の額縁に入った仰々しい「書」が飾られていて、確かその新しい担任が書いたものだったようで。
授業中だけだったと思うのですが、その「無」の文字が気になって、何度となくチラチラ見ていたのを覚えています。
当時から、「無」は最強だと感じていました。自分の感覚では、無というのは無言というのと直結していて、言葉を紡げば紡ぐほど真理から遠ざかるのを知っていたのかなと。
あの時の感覚と全く変わることなく、無→無言→無思考であり、「無」が全ての大元であることを今も感じつつ生きています。
無から全てが始まって、あらゆる事象が起きて、また無へと戻っていく。これがこの宇宙の全てなんですね。