人助けには依存性がある

人は誰かを助けたいという欲求を持っています。欲求などと言ったら失礼かも知れませんね。優しさとか愛と表現した方がいいのかもしれません。

誰かのことを助けることができると、助けたことの報酬をもらうことができます。それは、お礼の言葉だったり、感謝だったり、自己満足だったり、いろいろです。

そもそも助ける立場というのは、非常に都合がいいのです。何一つ否定される恐れがないし、人助けは美徳とされているので自分の価値も上がるというものです。

誰かに迷惑をかけてしまったら罪悪感が来るのですが、助けることは逆にあらゆる嬉しい感情がやってきます。

けれども、「包帯を巻くことができなければ、傷口に触るな」という言葉があるのを知っていますか?

私は、学生の時にこの言葉と出会ってなるほどなと深く感銘を受けたのを覚えています。相手の人生という枠を見据えたなら、そう簡単に手を差し伸べることもできなくなるのです。

本当にそれが相手の人生にとってプラスになり得るのか?を考えるからです。その瞬間の相手の喜びや嬉しそうな表情、感謝の気持ちなどだけで早計に助けようと思うのは、未熟なマインドなのです。

私はとにかく見守るというのを自分の基本的なスタンスにしています。確かにすぐ手を差し伸べたら、自分は楽かもしれませんが、それはあまりに身勝手というものです。

すぐに相手のために何かしてあげようとしてしまう人、あれこれと相手のケアをして喜んでもらいたいと思う人、相手の期待に応えようと頑張る人。

まずは見守るという姿勢を覚えることを学んでもいいと思います。何であれ、長い目で見るという習慣を身につける必要があるということですね。