一般的に言って、「祈り」というのは神社などに行って「どうか、宝くじが当たりますように!」とか、「どうか、家内安全で過ごせますように!」のように願うことをイメージしますね。
つまりは自分の自我の願望成就を訴えるようなものと捉えられます。いい悪いは別にして、誰もが心のどこかでそうしたことを行ったことがあるはずです。
ただ願うだけよりも、わざわざ神社などにお参りに行く方がご利益が多いような気がするので、そうした姿をたくさん見かけるわけです。
これは「自我の祈り」と呼んでもいいかも知れません。一方で、なるべく自我を介在させない「祈り」もあります。
それは意識的な状態の中にただいるようなイメージです。どこか、教会や神社に出向くのでもなく、ごく普通の生活の中でいいのです。
何もしていなければそれは瞑想になるし、歩いていても食べていても掃除をしていてもいいのです。
そうした覚醒の質を含んだ状態にあること。これこそが本物の「祈り」なのだろうと思っています。
そうなると、自我の祈りと本当の祈りはまさに正反対だということに気づきますね。特別にお祈りの時間を作るのではなく、平素から祈りのフレーバーがあればいいのです。