マインドを闘いの場にしない

マインドの中で闘うことは賢い行為とは言えないのです。その理由は、その闘う対象との太い関係が作られてしまうからです。

例えば、自分は意思が弱くてすぐに誘惑や欲望に負けてしまうので、欲望と闘って自分の理想を貫こうとする人がいます。

自分を戒めて強くなろうというわけです。けれども闘えば、欲望も活性化することになって仮に今回勝つことができたとしても、次は負けるかもしれません。

欲望を悪者扱いしないことです。欲望を禁止しようとか、理性が勝つ!のような生き方は闘いの人生になってしまいます。

闘わずにただ見守るだけにするのです。欲望はただそこにあるだけで、それは善でも悪でもないということ。

正しさについても同じことが言えます。自分はこうでなければならない、こうあるべきという正しさを死守しようとすれば、そこには闘いが生まれてしまうのです。

闘わずにあるがままの自分を見守るのです。それを徹底してやっていけば、自ずと自己嫌悪や罪悪感なども小さくなっていくのです。

自分のマインドを闘いの場にしないことです。マインドの隅々まで見守り続けることが、唯一の解決方法だと気づくことですね。