受容が自我を溶かす

次の osho の言葉を味わって見てください。

『誰かに「ノー」と言う瞬間、あなたがたはなんとも力強い感じを持つ。あなたがたは「ノー」と言うことをたのしむ。「ノー」は自我を助けるからだ。「イエス」は自我を溶かす。』

幼い頃、私たちは「ノー」を言うことで自分(自我)を確立していくのです。「ノー」は、自分と他人は違うものだということの象徴だからです。

「イエス」では、自分の存在が際立つことができずに、その他と一緒になって埋没してしまうからでしょうね。

だから、正直な「イエス」は少しずつ自我を溶解していくのです。ただし、ここで勘違いしてはいけないのは、「正直な」というところ。

本当は「ノー」と言いたいのに、無理して言った「イエス」の場合は、逆に自我を非常に強くさせてしまうのです。

なぜなら、その場合の「イエス」は自己防衛から発した言葉だからです。この場合の「イエス」は、正直な「ノー」よりも強い自己防衛になるのです。

これでもう明確になったと思うのですが、人に「ノー」を言うのが苦手な人ほど、防衛が大きいということです。

ニセモノの「イエス」が最も防衛が大きく、本気の「ノー」はごく普通の防衛でしかありません。そして、osho が言うように本気の「イエス」だけが受容を意味するのです。

受容だけが自我を溶かすということですね。