待つことの大切さ

この社会では、受け身の人生よりも能動的な生き方をよしとする傾向が強いですね。それは当然のこと、自我はやり手でなければならないからです。

自分が何かを成し得る存在でなければ意味がないし、何かを達成するための成し手でなければならないからです。

つまり社会というのは、自我にとって都合のいいことこそが、正しいことだという教えでできているのです。

私たちは幼い頃から、そんなことに気づきもせずにただ大人たちが教えることが正しいことだと信じ込んで生きてきたのです。

だとしても、もうそろそろ自我として生きている自分が100%であることをやめて、それ以外の部分があるし、それこそがとても大切な自分の本質に関わることだと気づくこと。

男性性は能動的、女性性は受動的と言ってもいいと思うのですが、そうだとするなら男性よりも女性の方が一般論として、気づきに近いということになりますね。

最近つくづく思うのですが、男性は女性から学ぶべきことが山ほどあるということです。地球人が皆受動的になってくれたら、人類から戦争はなくなっていくはずです。

成すこと、達成することよりも、気づくことに重点を置くようになればいいのですが。一足飛びに変化はやってきませんね。やっぱり待つことですね!

“待つことの大切さ” への2件の返信

  1. 受動的で気づきに近いのは確かに男性よりも女性かなとは思うのですが、過去これまでに不思議と覚醒しているのは男性が多いと思うのですが、これはなぜなのでしょうか?不思議です。

    1. 私の解釈ですが、覚醒者に男性が多いと感じるのは、覚醒した人の中で世の中で目立つ人が主に男性だったというだけだと思っています。女性も覚醒した人はたくさんいるのですが、私たちが知らないだけです。覚醒しても、静かにひっそりと生きている人は気づかれないわけですから。

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