昨日のブログでは、「期待」することこそが、自分を惨めな思いに縛り付け、そこから悲しみもやってきてしまうということを書きました。
それの少し補足をしたいと思います。大海原の中に住んでいる魚たちは、周り中があまりにも海なので、海がどこにあるのかを知らないのです。
それと同じで、私たちは期待の海の中で暮らしているため、自分がどれほどの期待に囲まれてアップアップしながら生きているのかに気づいていないのです。
もうそれは期待だらけでしかありません。だから昨日も、期待を手放すことなど不可能だと言ったわけです。
ただし、少しだけ救いもあるのです。それは、期待しているという時に、その中にぶち込まれる思い入れの大きさという要素を知ることです。
実は期待というのは、当然これから起きる未来についての予想なのですが、期待と予想の違いは思い入れの量だと言っていいと思うのです。
思い入れが全くないのが単なる予想であり、そこに思いが込められていれば期待に変化するのです。
例えば、サッカーのW杯でどこの国が優勝するのかを客観的に予想して、それが当たっても外れても何でもないわけです。
ところが、どこかの国を熱血応援していたなら、その国の優勝を強く期待してしまうので、優勝したら大喜びだし、そうでなければ落胆することになるのです。
つまりは、期待を落としていくなどは不可能なことだと分かったとしても、その期待に注入する思いをできるだけ小さくすること。
そうすることで、期待が外れたとしても予想がハズレたというだけになってくるわけです。ただし、惨めさも小さくなると同時に、喜びも小さくなるでしょうね。
他人への期待、そして自分自身への期待が大きいと人生は本当に辛く苦しいものになってしまいます。期待値を少しずつ下げる工夫をするか、あるいは思い入れという熱量を小さくする練習をすることですね。