思い入れを小さくする

昨日のブログでは、「期待」することこそが、自分を惨めな思いに縛り付け、そこから悲しみもやってきてしまうということを書きました。

それの少し補足をしたいと思います。大海原の中に住んでいる魚たちは、周り中があまりにも海なので、海がどこにあるのかを知らないのです。

それと同じで、私たちは期待の海の中で暮らしているため、自分がどれほどの期待に囲まれてアップアップしながら生きているのかに気づいていないのです。

もうそれは期待だらけでしかありません。だから昨日も、期待を手放すことなど不可能だと言ったわけです。

ただし、少しだけ救いもあるのです。それは、期待しているという時に、その中にぶち込まれる思い入れの大きさという要素を知ることです。

実は期待というのは、当然これから起きる未来についての予想なのですが、期待と予想の違いは思い入れの量だと言っていいと思うのです。

思い入れが全くないのが単なる予想であり、そこに思いが込められていれば期待に変化するのです。

例えば、サッカーのW杯でどこの国が優勝するのかを客観的に予想して、それが当たっても外れても何でもないわけです。

ところが、どこかの国を熱血応援していたなら、その国の優勝を強く期待してしまうので、優勝したら大喜びだし、そうでなければ落胆することになるのです。

つまりは、期待を落としていくなどは不可能なことだと分かったとしても、その期待に注入する思いをできるだけ小さくすること。

そうすることで、期待が外れたとしても予想がハズレたというだけになってくるわけです。ただし、惨めさも小さくなると同時に、喜びも小さくなるでしょうね。

他人への期待、そして自分自身への期待が大きいと人生は本当に辛く苦しいものになってしまいます。期待値を少しずつ下げる工夫をするか、あるいは思い入れという熱量を小さくする練習をすることですね。

期待が人を不幸にする

このブログでは過去何度も話題に上がっているど定番とも言える「期待」にまつわることをまた性懲りもなく書きたいと思います。

私たちが日々、悲しくなったり怒ったりしてしまう原因というのは、それが全てとは言わないまでも意外にもシンプルな理由によるものなのです。

自分は惨めだなと思うことがあれば、それは悲しみという感情を生むのです。惨めさは単なる思考なのですが、そこから悲しみという感情が作り出されるのです。

そしてそれだけではなく、その惨めだという思いとそこからやってくる悲しい気持ちのどちらも非常に辛いものなので、直視したくないのです。

そのために今度は怒りという感情を生み出すのです。怒っていることで、惨めな思いも悲しみも蓋をされて気づけなくされるのです。

だからあなたが何であれ怒りを感じているなら、その下には惨めさと悲しみが隠されていると思って間違いありません。

ではこうしたことの根っこにある惨めな思いというのは、どのような時に起きるのかが重要なことになるのです。

それは、期待値と現実との落差なのです。自分が⚪︎⚪︎に違いないという期待を持っていると、それに対して現実はこうだったという時の、期待はずれ感こそが惨めさなのです。

それなら何事にも期待をしなければいいだけだということになるのですが、理屈としてはそうなのですが我々の自我というのは、何事に対しても必ずや何らかの期待値を持ってしまうのです。

これはもうどれほど気をつけていようと、避けることは難しいでしょうね。やれることとしたら、何に対してどういった期待を持っているのかを注意深く見つめることです。

そしてその馬鹿馬鹿しさに気づくこと。その期待値が当然だと思う限りは、その期待が消えてしまうことはないからです。

それと、期待を減らすことの難しさの原因のもう一つ大きなものは、期待することも期待されることも良いことだという思い違いが根深いからです。

自我というのは、期待をエネルギーにして頑張れるという面もあるでしょうね。期待されることが本当に自分の喜びにつながるのかも、しっかり見つめる必要があるのです。

また自分が日頃誰に対して、何に対してどのような期待をしているか、それに都度都度気づくように練習することですね。地道な訓練だと思います。

人格はほんの一部

私たちは、朝目が覚めた時には当然のことながら、昨日までの自分がそのままに今日を生きると思い込んでいるのです。

昨日までの続きを今日からまた開始するわけです。自分はずっと継続しているのですから。どこかで途切れたり、違う人格になってしまったりしていないのです。

けれども、この人格を持った自分という存在は、本当に昨日までの自分と同一人物だと言えるのでしょうか?

単に記憶を引き継いでいるだけだとは言えないでしょうか?しかもその人格こそが自分100%だと本当に言えるのでしょうか?

こうしたことを突き詰めていくと、甚だ疑問だなということに気づくようになるのです。毎日の物語の中に没入してしまっていると、こんなことに気づく余裕はないでしょうけれど。

私はいつも疑っています。昨日までの自分、あの慣れ親しんだ人格を持っている彼が、100%本当の自分であるとどうして言えるのか?

そしてすでに日課となってしまっているのですが、この人格以外の自己を感じている時間を大切にするようにしているのです。

もう自我というこの人格こそが、本当の自分だなどとは断じて思えないのです。そんな薄っぺらいものではなく、この世界や宇宙に遍在している感覚の方が遥かに真実味があるのです。

これほどの救いはありませんね。

待つことの大切さ

この社会では、受け身の人生よりも能動的な生き方をよしとする傾向が強いですね。それは当然のこと、自我はやり手でなければならないからです。

自分が何かを成し得る存在でなければ意味がないし、何かを達成するための成し手でなければならないからです。

つまり社会というのは、自我にとって都合のいいことこそが、正しいことだという教えでできているのです。

私たちは幼い頃から、そんなことに気づきもせずにただ大人たちが教えることが正しいことだと信じ込んで生きてきたのです。

だとしても、もうそろそろ自我として生きている自分が100%であることをやめて、それ以外の部分があるし、それこそがとても大切な自分の本質に関わることだと気づくこと。

男性性は能動的、女性性は受動的と言ってもいいと思うのですが、そうだとするなら男性よりも女性の方が一般論として、気づきに近いということになりますね。

最近つくづく思うのですが、男性は女性から学ぶべきことが山ほどあるということです。地球人が皆受動的になってくれたら、人類から戦争はなくなっていくはずです。

成すこと、達成することよりも、気づくことに重点を置くようになればいいのですが。一足飛びに変化はやってきませんね。やっぱり待つことですね!

敏感体質の功罪

ベンチプレスのマシンで、1日おきくらいに筋トレを続けているのですが、私くらいの年齢になってもほんの少しずつですが、カメのようなスピードで進歩するのです。

若い人のようにメキメキより重いものが持ち上がるようになるなんてことはないのですが、地味〜に進化するのです。

先日ベンチプレスのベンチ台が新しいものに変わっていたのです。そのベンチ台に仰向けに寝そべった体勢で、バーベルを持ち上げるわけです。

新品になったのはよかったのですが、それが一瞬もしやと思ったのですが、恐れていたことが起きたのです。以前の台と比べて、硬いし台の高さも高いし、幅も広いのです。

使ったことがない人からしたら、その違いなどほんのちょっとしたものだろうと思われるかもしれませんが、実際に使ってみると違和感しかないのです。

感覚では、いつもの7割くらいの力しか出せないのです。やっていて何だかあまり楽しくないし、そのうち慣れるのかなとか、でも困ったなと…。

次の日、私と日替わりで同じマシンでベンチプレスをしている人が、その新しいベンチ台でトレーニングをしていたのです。

その人はきっと大した違和感も感じずに、私よりも遥かに重いウェイトでガンガン筋トレに励んでいるのです。

ああ、そういうことかと。なまじっか敏感体質な分だけ、やれベンチ台が変わってどうのとか文句を言う人もいれば、そんなことは気にもせずバリバリトレーニングに励む人もいる。

どっちがお得なんだろうと思ったのですが、でもこれだけは生まれついた感覚でしかないので、仕方のないことだなと諦めたのです。敏感さん、あるあるなお話しでしたね。

気分は変えられる

私たちは自分の人生が万事調子よく行っている時には、あまり自分自身を見つめることをしなくなってしまうものです。

上手くいっているのですから、ただその波に乗って毎日を楽しく過ごすようになるのですね。これが無意識的に生きることを助長するのです。

逆に何か問題があるなと思うと、そこで立ち止まって、外に向いていた意識を内側に向けるようになるのです。

一体自分自身に何が起きているのだろうと。そこでようやく、物語から距離を置くことを思い出して、自分の中に没入するのです。

自分の内側に、気付かぬうちにあれこれとガラクタがあったことに気づくと、どんな努力もせずにそれらは一人でに消えていってくれるのです。

自分が置かれている状況は全く何も変わらないのに、気がつけば昨日までとは全く違う気分になっているのです。

最近やってきていた気分の悪さは、古くから自分の中にあるネガティブな思考の癖が知らぬ間に発動していたせいだと分かりました。

その思考パターンは、時間に縛られていて、人生を楽しむことができない奴でした。日頃からそれがあるのは知っていたのですが、久しぶりに乗っ取られたのです。

珍しく乗っ取られていたのは、いくつかの外的要因が重なったからかなと。風邪が身体から抜けた時のあの感覚に近いものを今感じています。

やっぱり自分の気分は、自分で変えることができるということですね。また一つ勉強になりました。

救われる言葉

以下の osho の言葉を繰り返し落とし込むと、何とも救われた気持ちになるのは私だけではないはずです。

人は何処へも行く必要がない、
ただ思い出すだけでいい。
為されるべきことは何もない–ただ知るだけでいい。
そして、知ることは到達することだ。
私たちが知る必要があるのは–私とは誰かということ、
これを知ることが、神性へと到達することだ。

自分の中をゆっくり見回してみると、自分は何も成していない、と言って咎めるような情けないような気持ちでいる部分があるのがわかります。

それはなかなか根深くて、人生の初期の頃からきっとあるのだろうなと。普段は紛れてその存在には気づけないのですが、今はかなり気づけますね。

それが持つ焦りのような感覚が、上の osho の言葉によって静かにさせられるような感覚があるのです。

それは自分の本質には全く無自覚で、人生が全てであると信じ込んでいるようです。自分の価値を見出そうと躍起になっているのです。

自我そのものが消えない限り、それも消えることなくずっとあるのでしょう。osho の言葉がもっともっと自分の中に定着していけばいいのでしょうね。

自分の気分を見守る

このところの自分の精神状態がイマイチな感覚をずっと見守っているのですが、セッションをしていると気が晴れるということにも気づきましたね。

しっかりと意識を向けるべき対象ができるからなのか、クライアントさんの内側に寄り添っている時は、気分のふさぎ込みがなくなります。

これはとても恵まれた環境だなと改めて思い知らされました。また明日になってみなければ、どのような状態になっているかは分かりませんが。

ただ、何となく気が滅入っている時に、習慣として自分の本質に意識を向けることもできるのですが、そこは全く負の影響を受けていないことにも気づくのです。

そして普段であれば、一瞬にして全体性の中へと身を委ねることができるのですが、どうもそれをしたくないというマインドがあるようです。

つまり、気分がすぐれないままにしておこうとしているのです。これが不思議なのですが、まだその中心にいる奴の姿が見えないのです。

きっとそれを見つけることができたなら、そこから抜け出すことができるのだろうなと。いい機会なので、じっくり体験してみようと思っています。

今この瞬間は、完全に普段の状態に戻ってしまったように思えるのですが、本当にそうなのか。そう都合よくはいかないはずですが、明日の朝が楽しみです。

珍しい内的体験

子供の頃から、自分の体調があまり良くないなということに慣れ親しんでいたようで、大きく崩れないものの、なんだか具合がイマイチという経験が日常的でした。

病気ではないのですが、いわゆる未病という状態と言えば言える。会社員を辞めて今の仕事をするようになってからは、だいぶ緩和されたのです。

それでも腰を痛めたり、足のどこかの関節が痛くなったり、お腹の具合が悪かったりと、日常的にあれこれちょっとした不具合を抱えています。

ただ、それは全て肉体的な不具合ばかりで、精神的なものではありませんでした。身体が弱い分、精神は安定しているのかなと。

ところが、この数週間というもの、これまであまり経験したことのない精神的な不調を体験しているのです。

これまでも、昼寝から目覚めたらちょっと気分が悪いとか、そういうごく短時間のものはあったのですが、今回はどうもそういうのとは違うのです。

長くうっすらと続いていて、気分が晴れない。あれこれ自分なりに、原因を探してはみたものの、どれも決定打にはなっていないような気がします。

いくつかの要因が積み重なっているのか、あるいは全く想像もできない何らかの原因が隠されているのか、今のところ分からないのです。

言葉にすると、何だかパッとしない気持ち、あるいは暗く沈んだような気分、おまけに身体もちょっとダル重いのです。

仕事に支障が出るようなレベルではないので、普段の生活には問題ないのですが、自分としては新しい体験をしています。

いずれ原因が明確になるか、あるいは自然消滅してしまうのかは分かりませんが、何か変化があればまたここでその詳細をお伝えしたいと思います。

父の実家での刺激的な生活

子供の頃、夏休みになると父親の実家(千葉の外房)に遊びに行って、しばらくはそこで過ごすことがありました。今思い返してみると、そこでの生活でちょっとしたスリルと非日常を味わったのです。

まだ小学生だったのに、二輪の原付バイク(カブと呼ばれていました)に乗って、近くのお店までお使いに行ったり。

その時は、少しでも大人っぽく見せるために、ジャケットを着て行くようにしていました。でもどう転んでも小学生丸出しなんですけどね。

あるいは、本物の空気銃で的を作ってそれを撃ったりして遊んで、気がついたら弾を全て使ってしまったりしていました。

子供が触ると危険だからと言って、注意する大人が一人もいなかったのが不思議です。思い返すと、だいぶ危険な感じがします。

その実家は父親のお兄さんが継いでいたのですが、夫婦揃って医者だったので、毎年一人二人が、海で溺れて担ぎ込まれてくるのです。

また、真夜中に救急で人が運び込まれてきて、緊急手術をしなければならなくて、苦しくて大暴れしている患者を押さえているように、父親は頼まれたこともあったり。

自宅での普段の平凡な毎日と比べると、本当に色々なことが起きて、野生児として生きているような感覚がありましたね。

安全で退屈なありきたりな毎日と、すごく自由で危険を孕んでいる生活のどちらが魅力的なのか難しいところですが、どちらも経験できたのはよかったかもしれません。