かなり以前から不思議に感じていたことなのですが、なんでリンゴそのものを直接的に知ることはできないのだろうか?ということ。
かつて思っていたのは、自分とリンゴが分離しているからだろうと。つまり直接的に知るには自分がリンゴになってしまう以外ないだろうと。
そんな変なことを考えていました。けれども、非二元のことをみるようになって、ようやくこの答えが明確になったのです。
あくまでも知るということは間接的であって、直接に知るというのは不可能だということ。なぜなら、リンゴは思考の内部にしかなかったから。
知るということは、何々に「ついて」知るということであって、それについての情報を知るということに他ならないからです。
(リンゴの)色や形は距離ゼロで直接的に気づきとしてあるということ。色という気づき、音という気づき、思考という気づきなどは常に直接的です。
それらを総称して現れと呼んでいるのですが、そこにリンゴはありません。だからリンゴという直接の気づきは起きないのです。
モノそのもの、あるいはモノの実体というのも概念であって、思考の中です。この物質世界も同様に直接知ることはできません。
思考の内側に直接気づくことはできないのです。それは思考によってのみ間接的に情報として知ることになるだけなのですね。

