リアルも仮想も体験に違いはない

私たちが外側にあるモノを見るとき、そのモノ自体を見ているわけではないということに気づいているでしょうか?

私たちが見ているのは、そのモノに当たった光の反射光を見ているのです。だからこそ、目の前に何があろうとも、部屋が暗くなったら何も見えないわけです。

こうした基本的なことを普段は忘れてしまって、ただそこにモノがあるからそれが見えているんだと思ってしまっているのです。

テレビや映画の人工的な映像でも、そこにモノがあるように見えるのはこうした原理を思い出せば当たり前のことです。

ただこれまでのテクノロジーのレベルでは、リアルな世界と映像の世界の見え方があまりにも違ったので、両者の区別がついたわけです。

けれども、テクノロジーの発達によって、近い将来はリアルな世界と仮想世界の違いが分からなくなるのは目に見えています。

だとしたら、このリアルな世界が仮想現実ではないとどうして言えるのか?という考えに辿り着いてしまうのですね。

この世界が仮想的な世界であるなら、その中で暮らしている自分自身も仮想的なものであることになるはずです。

リアルな世界であれ仮想世界であれ、違いがないのは体験があるということだけかもしれませんね。

自分の感情は、必ず相手に伝わることになる

子供の頃に家族で親戚の家に遊びに行った時に、普段見かけない種類の猫ちゃんがいたのです。その時に、シャムネコという種類だと聞いたのです。

ちょっと品の良さそうな、人に媚びない感じの猫だなあと思っていたのですが、それなりに悪さをするようで。

その家の叔母さんがあっちへ行ってなさい、と言ってその猫を抱き上げた途端に、シャーっと弧を描いてオシッコをしたのです。

我々お客さんの前で、あるまじき痴態を曝け出してそれでも悪びれずにいて、なかなか手の焼ける猫ちゃんだなあと思ったのを覚えています。

もちろん誰も叱るでもなく、みんなが大笑いする中何事もなかったかのように違う部屋に連れて行かれてましたね。

猫ってちゃんとトイレで用を足すのが普通だと思っていたのですが、時と場合によってはそういうこともあるのだなと。

それで思い出したのですが、私がまだ歩けない寝たきりの赤ちゃんの時の明確な記憶が残っているのです。

それは、オムツの中に大量のウンコをして、仰向けのまま気持ちがいいのでケラケラ笑っているという記憶です。それを見つけた母親も笑っているのです。

あの時に、叱られなかったのは大きかったかもなと。ママが面倒臭そうにして、しょうがないわね的な顔をされたら、赤ちゃんと言えどもきっとどこかで傷つくのではないかと。

相手がどんな存在であれ、たとえ動物でも赤ちゃんであったとしても、自分の不満をぶしつけに表現するのは考えものかもしれませんね。

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AIによる覇権争いが激化する

これからの時代はご存じAI のテクノロジーが、世界の覇権を握るカギになるだろうと言われていますが、当然そうだろうなと。

AIの技術を使わずにいられる分野を探す方が難しいくらいなので、ほぼあらゆるところにAIが入り込んでくるのは確実です。

アメリカのトランプ大統領がスターゲート計画というAIの革新的なプロジェクトに多額の予算をつけましたね。

日本の孫正義氏も70兆円規模の投資を提示しました。そのくらい、AIへの期待が大きいし、失敗は許されないのです。

ところが、最近中国の若き天才がOpenAI社の1/10以下の予算で同等の性能を発揮するAIを発表してしまったのです。DeepSeek と言います。

これはとんでもないことが起きてしまいました。米中の力関係が大きく変わってしまう可能性が出てきたと言えるかなと。

しかもアメリカが輸出規制している半導体を使わずに、その中古品だけでそのパフォーマンスを出したことが大きいのです。

何か不正があったのではないかと、米国側は現在必死になって調査しているらしいですが、何も問題がなかったということになったら大変です。

どうなるのか、固唾を飲んで見守りたいと思いますね。

他人のことを考えている時間を見直す

以前、自我の「3層構造」というお話をしたことがありました。動画では次を参考にしてみてください。

一番上の層は、「幸せ」を求めており、二番目の層は「安心」を求めているのだと。そして、最下層は「存続」を求めているということです。

そのどれもが本心なのですが、それぞれに全く異なる目標を持っているわけです。そして、最下層の部分に関しては、自覚することさえ難しいので、一般的には知られていない部分なのです。

ところが、ここが一番エネルギッシュに暗躍していると言ってもいいのです。自我は自己の存続を求めて、次のような状況を生み出します。

困った事態、不安、心配、苦悩、戦い、こうしたものを絶えず探してきて、それを解決しようと頑張るのです。

そうすることで、「自分がいる」という感覚をはっきりさせることができるのです。それによって、自分の存在を明確化するのです。

その中でも一番人気があるのは、自分のことではなく他人のことに首を突っ込んで、ああでもない、こうでもないとやるのです。

これによって、見たくもない自分の内側に気付かずに生きていけるので、一石二鳥なのですね。そして、本人はこのことに気づかないでいられるのです。

これは誰もが大なり小なりやってしまっていることですから、悪いことではありません。ただ、貴重な人生の時間を無駄にしてしまっている可能性に気付かないのも事実。

他人のことを考えている時間があれば、こうしたことに気づいて、少しでも自分自身に目を向けられるといいのかなと思います。

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昨年の大赤字のせいで確定申告が楽になった

今年も面倒な確定申告の時期を迎えました。友人が経費の細かなまとめをやってくれたので、私はかなり楽ができました。

それでも毎年ちょっと息を止めて頑張るという時間を費やしていたのですが、今年はこれまでにないくらい爆速で必要な書類を作成することができました。

あれ、凄く楽だったなあ、なんでだろう?と思って、気づいたのですが、昨年の6月あたりからセッション費用を自由意思に委ねることにしたのですね。

そのせいで、昨年の年収が劇的に減ってしまったのですが、そのおかげで年間の赤字が100万円くらいになってしまったのです。

ということで、どうにもこうにも税金を払うことにはならないと明確になったので、気を揉む必要がなくなったのですね。

人間はゲンキンなもので、そうなると瑣末な数字のちょっとした間違いがあったところで、どうでもいいかなと。

だから、ものすごく気が楽になって、あっという間に書類の作成を終えてしまったのです。とはいえ、この大赤字はなんとかしなければ。

皆さんにはご迷惑をおかけすることになりますが、近いうちに以前の料金体系に戻す必要がありそうです。

その時にはまた前もってお伝えすることになると思います。

間違ったものを買わないように、気をつけましょう!

普通のスーパーマーケットよりも、さらに安くものを売っている大型のスーパーがあるのです。事務所から歩いて行けるので、たまに行くのです。

その安売りスーパーの別の店舗が、事務所と自宅のまあまあ間くらいに新たにオープンしたので、クルマで行ってみたのです。

すると、新しいからというのもあるのですが、店内が見事に整頓されていて、通路が広々としていて気持ちがいいのです。

事務所近くの店舗は、いつも割と混雑している上に、通路が狭くて誰かが棚のものを見ているだけで、通れなくなるのです。

新店舗では、そういうことが全くないので、とても気持ちよくスムーズに店内を周れるのが嬉しいのですが、一つ心配なことが。

だいたい人気のスーパーなのでもっと混雑していてもいいはずなのに、店内はガラガラな感じがするのです。

駐車場も空いていて、これ大丈夫かな?と他人事なのに心配になってしまうのです。で、本題はここからなんですが。

ボディシャンプーとシャンプーのお得な詰め替え用を見つけて、ヨシと思って買って帰って家で確認したところ、シャンプーの代わりにコンディショナーを買ってきてしまったのです。

コンディショナーがどんなものかよく分からないし、きっと自分は使うことはないことだけは明らか。

まあいいかとも思ったのですが、これが2個分の詰め替え用ということで450円近くするものなので、どうしようかなと。

すぐに行けば、取り替えてくれるだろうけど、もう部屋着に着替えてしまったし、バーボンを飲もうと画策していたので、また出かけるエネルギーがない。

というわけで、無駄なものを買ってしまって、忘れるためにお酒の力を借りようという馬鹿馬鹿しいお話しでした。

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動画の内容に矛盾を感じたら…

一年ちょっと前からYouTube動画の配信を始めたのですが、時間も労力も最低限で続けている割には、少しずつ観ていただけるようになってきたのかなと。

それにつれて、YouTubeを観てルシッドのことを知ってセッションに来ました、というクライアントさんがちらほら現れ始めました。

動画の内容に関する質問もいただけるようになって、これは非常に助かっていますね。何よりも動画の話題にさせていただけるので。

こうしたことは思ってもみなかったことで、思い切ってやり始めて本当によかったなと思っています。

ただこれはどうなのかなと思うことが起きていて、それはブログの内容にも同様のことが言えることなのですが…。

実は、その時その時で私自身自分に正直にお伝えしているつもりなのですが、時を経て互いに矛盾する内容のことを話していたりすることに気づいたのです。

特に、非二元のことを話すようになってからは、それまでの二元の世界での話とは根本的に違ってしまったのです。

これは仕方のないことではあるのですが、だからと言ってそれ以前の動画が間違っているということでもないのです。

私の動画をご覧になって、何か矛盾を感じたり、惑わされてしまうようなことがあれば、遠慮なくご指摘して頂きたいと思うのです。

その際はできる限り、わかりやすく説明させてもらいたいと思っています。

「惨めさ」と向き合うことの難しさ

心の癒しにおいて中心となるのは、なんと言っても過去に溜め込んできた感情を解放するということです。

特に癒しの初期の段階では、感情と向き合うことがとても大切なことなのです。もちろんその程度は人それぞれですが。

時として、感情のロックが強過ぎて感情と向き合うことが難しい場合には、生き方や考え方を見直すなどのセッションを繰り返すこともあります。

怒りや悲しみなどの感情が出づらい理由の一つとして、その背後には二度と思い出したくない思いがある可能性があげられます。

例えば、幼い頃にどうしようもない状況の中で、死を覚悟せざるを得ないようなことがあると、当然のことそこに光を当てることは難しくなるのです。

感情を味わおうとすれば、そうした思いを芋蔓式に思い出してしまうことになるため、絶対にその感情の蓋を開けようとはしないのです。

死にたい衝動を起こす原動力は、シンプルに表現すれば「惨めさ」です。自分が惨めだという思いが強ければ、生きていくのが難しいと感じても不思議ではありません。

そうしたことも考慮しつつ、焦らず個人個人の状況に応じてじっくりと癒しを進めていくことがとても大切なのですね。

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生き方を見直すことの大切さ

心の癒しに携わっていて日々思うのは、継続的に必要なことは自分の生き方を変えていけるように努めるということです。

この生き方こそが、自分自身を表現していることだと思えたとしても、そこはできる限り潔く変えていくことが大切です。

なぜなら、人生の何かがうまく行っていないと感じるなら、その原因はたった一つ。それはその人の考え方、生き方こそ問題の根っこにあるものだからです。

それを悪く思う必要もないし、否定することでもないのです。なぜなら、その生き方は小さい頃に生きていくために自ら編み出した作戦だからです。

それがあったからこそ何とか無事に大人へと成長できたのですから。けれども、もうそれは不要になってしまっているのです。

不要どころか、大人になって子供の頃の生き方を継続していれば、必ずなんらかの問題が起きてきてしまうわけです。

例えば、我慢強いことがいいことだと思っているなら、それを改める必要があります。なぜなら、我慢を継続すれば人は心を病むことになるからです。

つまり、我慢弱くなることです。我慢弱ければ、我慢をすることが難しくなって、結果として深い傷を負わずに済むことになるのです。

このように、これまで自分が正しいと思い込んできたことを見直してみることは、癒しを進める上でとても大切なことなのですね。

質問への答えは絶対あるという間違い

私はずっと幼い頃から、質問があればそれに対する正解が必ずあると思っていましたね。誰も答えられないとしても。

つまり、正しい答えはどこかにあるのだけれど、それを誰も見つけられないということはあるかもしれないということです。

人間が思考で質問したことなので、それは思考によって答えられるはずだろうという感覚があったわけです。

誰も答えられなければ、全知全能の神という存在があれば間違いなく答えられると。けれども、そうではないということに気づきましたね。

非二元の中においては、どんな質問であれそこにはどんな意味もない、というよりも意味がないということすらないのだろうなと。

非二元が好きなのは、善悪もないし、正しさもないし、意味もないし、価値もないというところ。なぜなら、そうしたものは全て物語の中のものだから。

質問も物語の中にしかありません。非二元では物語もないのですけどね。 

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