多くの事柄が私の手から離れて行った

今日も本当に不思議な日だったなあと。怒涛のように、夕方あたりから物事が立て続けにやって来たのです。

それも時間制限があったりして、ゆったりとしていられないような感じで。外構工事の最後と言ってもいいブロック塀へのタイル貼りが明日に決まり。

仮住まいだったアパートの立ち会いが終わって、これで完全に縁が切れ、セッションを終えて早々に帰宅したのです。

昨夜苦労して録音しておいた、床冷暖房システムからの異音のファイルを何とか、スマホで聞けるようにし。

その最中に、頼んでおいたものの再配達がやってきて、そのすぐ後に誤購入したエントリーキーを送り返す作業が発生し。

その時同時に、懸案だった異音問題を解決するためにハウスメーカーさんや電気屋さん、そしてエアコン屋さんがやってきて。

その後、気がついたら全てが解決していたのです。全館空調システムの吹き出し口の騒音も含めて、まとめて解決。

おまけに、ハワイの税理士さんがらみの一連の作業も一気に終了したのです。多くのことが、一度に私の手から離れていきました。

この余韻を噛み締めながら、ゆっくりと瞑想して今日という日を終えるつもりです。

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感謝しかありません

家を建て替えるにあたって、解体する前に要らなくなったものをすべて処分しなければならず、一括して処分してくれる業者に依頼したのでした。

あの時は、確か大型トラック2台分に積んで持って行ってもらったのです。そして今回、仮住まいのアパートから新居への引越しに際しても、もう一度似たような業者に依頼したのです。

今度は2トントラック一台分で何とか持って行ってもらえたのですが、廃棄物を運搬するときに私が住んでいた部屋のドアに傷をつけられてしまったのです。

これは一般論なのですが、どうも廃棄業者の人たちの方が引越し業者の人たちよりも、やや雑な仕事の仕方なのかなと。

引越しの場合は、荷物を移動するだけなので丁寧に扱うということが前提にあるのですね。その一方で、廃棄処分の方は違うのです。

当たり前なのかもしれませんが、だからと言って部屋の方に傷をつけてしまうのは、あっていい訳はありません。

知らぬ間につけられてしまったドアの傷、アパート解約前にある程度補修をしなければと思い、友人にお願いすることにしたのです。

ありがたいことに快諾してくれて、わざわざアパートまで来てくれて補習作業をやってくれたのです。自分ではとてもできないワザなので、本当に助かりました。

こう言う時、本当に人の優しさが身に沁みますね。感謝しかありません。

1日が矢のように過ぎ去る

物事って重なる時は重なるものですねって、何となくコレ以前にも同じことを書いた記憶があるような気がします。

先ほど数えてみたら、7つの大切な事柄が1日を通して順番にやってきたのです。そのうちの4つは、夕方のある時間帯にまとめてドッと押し寄せてきました。

郵便とメールとLINEと電話がほぼ同時にって、これはなかなかこれまでにも経験したことがないくらいに混み合って、同期してたと言うのかな。

覚えてる限りで説明すると、留守にしていたために大切な書留が届いていなかったので、急いで再配達の処理をしているところへ、とても大切な電話がかかってきました。

これも決して逃すことのできない大事な連絡でした。それと時を同じくして、2箇所からメールが届いていたのです。

そのメールも非常に大切なものだったので、すぐに返信することで少し心に引っかかっていたものが取れたのです。

ちょうどその時くらいに、友達とLINEで明日の件で大事な依頼をすることになって、と言うわけですべての処理が終わった時に、自分でもびっくり。

そのほかにも、やることをやり終えたという自分にとってはすごく珍しい体験をしたかなと。自我はちょっと喜んでいますね。

ただもう今は、のんびりとこのブログを書いて、あとは読みかけの本でも読んで、瞑想して寝るだけですね。今日もあっという間の1日でした。

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「神対応」の引越し屋さん

今日ようやく、仮住まいのアパートからすべての荷物を撤去することができたのですが、残り物のほとんどは廃棄処分とし、それ以外のテレビや重いダンボール箱だけを、比較的小規模の引っ越し屋さんに依頼してあったのです。

金額も良心的だし、実際に来てみると非常にテキバキとしていて気持ちがいい。実は彼らがやってくる数分前に、見知らぬ訪問客がアパートにやってきたのです。

ちょうど真上の部屋に引っ越して来たものですと言う、感じのいい若いお母さんふう。単なる挨拶なのかなと思っていたら、家内がカーテンを取り外している姿を見て、そのカーテンを譲って欲しいのだと。

お2階さんの事情は知りませんが、一時的な住まいを探してやってこられたという息子さん2人との3人家族なので、これ以上の好都合はなかったようで。

それはもうどうぞどうぞという会話をしている間に、あっという間に威勢のいい引越し屋さんの作業は進んですぐに終わってしまったのです。

物足りないなあ、なんて冗談を言うくらいの引っ越し屋さん、家内と2階に越してきた人の会話を聞いていて、上に持っていくものあったら運びますよと。

結局、彼らには、廃棄処分予定だった冷蔵庫(90kg)、洗濯機、テレビ、その他諸々のものを2階に運んでもらったのです。

え〜、そんなことってあるんですかあ?考えられないような神対応。追加料金を請求するでもなく、私と家内とお2階さんもみんなでびっくりするやら感動するやら。

最後は心ばかりのものをお渡しして、帰って行ってもらったのですが、彼らの人生がより素晴らしいものになるように心からお祈りしたいと強く思いましたね。

少しでも彼らのことを広く知ってもらえるならいいなと。以下が彼らのリンクです。小規模な引越しなら是非彼らに依頼するとハッピーな気持ちにしてくれますよ。

https://curama.jp/moving/SER985892678/

自由は命よりも大事

自由は命よりも大事という次のoshoの言葉って、なかなか凄まじいものがありますね。

『自由は最も神聖な現象だ
それゆえ、自分の自由を何のためであろうとも
犠牲にしてはならない
たとえそれが愛のためであっても
自由を犠牲にしてはならない
なぜなら、自由より高いものは何もないからだ
自由のために、すべてを犠牲にできる
たとえ命でさえも』

16世紀にコペルニクスが例の地動説を発見したのですが、彼は教会からの圧力を危ぶんで、その論文を発表しなかったのです。

ところが、17世紀になってかの天文学者であるガリレオ・ガリレイは、自ら製作した望遠鏡を駆使して観察を続け、そこから得た事実をもってコペルニクスが唱えた理論を証明してみせたのですね。

彼の名台詞である、「それでも地球は回っている」という言葉は、自分の命よりも自分が証明した事実を発表する自由の方を優先したということです。

これこそが、osho が言う自由は命よりも大事だと言うことを身をもって見せてくれたと言えるでしょうね。

大小の違いはあるかもしれませんが、様々なことを優先することで、自分が自由でいることを犠牲にすることもあるなあと思うのです。

一番思いつくのは、罪悪感ですね。罪悪感を感じたくないがために自分の自由を犠牲にしてしまうと言うことは、よくあることではないでしょうか?

思い当たる人は多いと思います。私もこれまではそう言う経験を幾度となくしてきました。けれども、これからは自由を最優先するように勇気を持って生きようとあらためて思いますね。

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我々は互いに別の世界で生きている

この仕事をするようになって、つくづく思うことがあるのですが、それは誰もがその人に特有の世界で生きているんだなと。

そのくせ、そのことには全く気づくことなくみんなで同じ世界に一緒に生きているのだと錯覚してしまっているのです。

物理的な世界が一つだとしても、それぞれが生きている世界は全く別物だということを、どうやったら気づくことができるのだろうか。

もしもこのことに深く気づくことができたなら、無意味な争いやいさかいごとなどは消えていってしまうかもしれません。

たとえ深いところまで分かり合っているもの同士であったとしても、もっともっと深掘りしていけば、どこかで必ず分かり合えない場所に到達してしまうのです。

これは悲しいことではなくて、原理的な当然の結果でしかないのです。それを前提として、人との繋がりを大切にしていけばいいのです。

個人として生きているということは、結局のところそういうことなのですね。私のワールドは私の脳内に展開されたものだし、あなたのワールドもあなたの脳内にこそあるのです。

それぞれが一つにまとまることはできません。それをいくら望んだとしても、不可能なことなのです。

だからこそ、意識的に互いに寄り添って元々交われないものを少しでも埋め合えるようにすることに価値があるということですね。

生きたブッダの言葉は知り得ない

小学生の頃から、何となくですが宗教というものに関心があったような感じがしています。何も知らないのに不思議です。

信者になりたいということではなくて、一体どんな魅力的なことが経典などに書いてあるのだろうかが気になっていたのだろうと。

ところが、その一方では宗教的な教えの中心とも言える、人は◯◯でなければいけないとか、人とはこうあるべき、のようなルール的なものには興味がないのです。

それは今でも変わりません。人を正しさで縛るような教えは全くもって苦手なのです。このような自分なので、すぐにピンときたのがoshoだったのでしょうね。

oshoの生きた言葉をそのまま知ることができた自分は何と幸運なのだろうと思う反面、ブッダの言葉は永久に知ることができない。

もしもブッダが生きていたら、一体どんなことを教えてくれるのか?偉い学者さんたちでさえ、それを知ることはできません。

きっとこうであっただろうという予測でしかないのです。ただ、私が思うにブッダは決してルール的なことに触れたことはなかったのではないかと思うのです。

ブッダは仏教の開祖ということにはなっていますが、現在世界中に広まっている仏教の内容をブッダが知ったら、それはもう驚くでしょうね。

私はそんな宗教のことなど知らないと。それはきっと、イエスキリストが現在のキリスト教のことを知ったとしても、同じ反応をするのだろうなと。

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自我から離れていくことが賢い生き方

非常に秀逸なoshoの言葉を味わってみてください。

『かつてこの地上で、愛はひとつの過ちもおかしたためしがない
あらゆる過ちは愛の欠如によるものだ
じっさい、わたしにとっては
それこそ生における唯一の過ちに他ならない』

ここで言う愛とは、純粋な愛のことであって自我にそれを理解することはできないのです。その一方で自我の愛とは、偽物の愛のこと。

だから巷に溢れかえる恋人同士の愛憎劇とか、あらゆる人間ドラマに出てくる辛く苦しい愛もみんな自我の愛なのです。

それは当然のこと過ちを犯すのです。他の表現を使えば、それはとてもバカバカしいことと言えるかもしれません。

自我の愛というのは、防衛をその原動力としているので、実は純粋な愛の正反対のものなのです。だから、愛という名の苦しみなのです。

セッションで、あるクライアントさんに自我についての説明をしていた時に、それを聞いていたクライアントさんが、じゃあ人生が辛いのは自我のせいですね?と。

そうです、自我の原動力は恐怖や不安(愛の欠如)なので、それは必ずや困った事態へと連れて行ってしまうのですね。

自我が悪いというよりも、自我とはそういうモノでしかないという理解が大切ではないかと思っています。

そうなると、少しずつ自我から離れていくことが賢い生き方なんだろうなということが分かってくるのですね。 

家を建てるプロセスの終了

やっと今晩から新しい家で夕食をとり、今新しい自分の空間で落ち着いた雰囲気の中、静かにこのブログを書いています。

やあ、長かったです。思えば、昨年の7月の初旬から始まった家作りのプロセスが、ようやく今日終わりを遂げたということです。

まだ実は工事が終わっていない部分などもあるのですが、もう自分が寝泊まりするようになるので、今日から新しい住まいでの生活が始まったという感じです。

連日の猛暑の中でも、エアコンを使わずにひんやりとした部屋の空間を体感できるのは、軽い衝撃なのです。

けれどもその一方では、これまで聞いたことのないいわゆる騒音が聞こえたりして、何もかもが初めての経験です。

風呂の蛇口に何も表示がされていないので、シャワーからお湯を出すまでにしばし時間がかかる始末です。これは、初めての人には非常に不親切かもしれません。

夕方にものすごい勢いで夕立のような激しい雨が降ったのですが、その音が全く聞こえないくらい、外の音が伝わってこないので、いいような不便なような。

自分にとって一番大事な瞑想が心地よくできるのかどうか、これからゆっくりと検証してみたいと思っています。

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「案ずるより産むが易し」と「これもまた過ぎ去るだろう」

明日仮住まいのアパートのネットを撤去するため、新居の方に移り住む運びとなったのですが、いやはや色々ありました。

新居のネットとテレビの設置が、ようやく今日終わってあれこれ考えてどうなるかなと思っていたのです。

ところが、工事の人が来てみると、こちらがあれこれ言わなくても非常にスムーズに仕事を終えてくれたのです。

これこそまさに、「案ずるより産むが易し」というやつですね。なまじ少しだけネットのことが分かる分、気を揉んでしまうのです。

100%おまかせ状態であれば、なんてことはなかったと思うのですが、色々質問をしたところほぼ答えてもらえたことがありがたかったです。

4台あるテレビそれぞれを有線でネット接続して、一方のWi-Fiは一階と二階をメッシュWi-Fiというやつで接続することで、快適なネット環境となったはず。

残るは、ブロック塀へのタイル貼りと、クルマの充電ケーブルの収納ボックスの設置。この辺りは、お任せになるので問題なし。

今回の家の建て直しにまつわるすべての作業が、終わりを迎えようとしています。あと少し、残るは少しの引越し作業と不用品の廃棄作業。

「これもまた過ぎ去るだろう」が今回の私の中でのスローガンでしたね。これ、結構使えると思いますので、皆さんも是非活用してください。