師なんていらない

かつてoshoの本を沢山読み込んでいた頃、彼の言葉やその存在自体に心酔していたわけですが、彼が生きていたら絶対に弟子になりたいと思ったものでした。

彼の弟子になって、緊密な師弟関係の中で何も恐れることなく修行ができれば、遠くない未来に覚醒することができるに違いないと。

師の前ではハートを開いて無防備になることができるはずだと。そのことを想像するだけで、ものすごく気持ちがいいのです。

そう思いながらも、彼以外の誰かの弟子になる可能性がほとんどないことを自覚して、そのことは諦めてしまいました。

でも今思えば、真実に気づくためにはそんなことも必要なかったと分かるのです。それに気づけたのは幸運だったかもしれません。

何も特別なことは必要なかったということです。特別な師匠、特別な環境、特別な精神状態、こうしたものが必須だと思うのは自我の習性なのです。

作り事を作り事と気づき、直接の経験だけにとどまるようにするなら、すでにある真実に気づくことになるのですね。