トリプルパンチは辛い

一般的な認識として、子供は無邪気なものだけれど、大人になれば様々なことを考えなければならないので、そうはいかないのだと。

言いたいことがあっても、それをそのまま職場で口に出せば大変なことになってしまうなど、すごく気を遣いながらの生活を強いられたりします。

けれども、実はそうやって気を遣って自由な自己表現ができないのは、子供も同じなのです。むしろ、子供の頃の方が場合によっては深刻です。

なぜなら、子供が暮らしている家庭というのはクローズドな世界なので、弱い立場の子供は助けを求めることができないからです。

自由な自己表現を抑えてしまうことになる3大要素というのがあります。この話はもう何千回となくセッションでは披露しています。

その3つの要素とは、恐怖、可哀想(罪悪感)、自己否定です。たとえば、父親のことを恐れていれば、父親に対する自己表現はできなくなります。

また、父親にいじめられて可哀想な母親がいるなら、かばってあげなければならない相手なので、やはり自己表現は影を潜めてしまいます。

最後に自分が悪いのだという想いを植え付けられてしまうと、自分を縛ってしまうので自己表現は抑えられるのです。

この3つの要素のうち一つでもあれば、子供のうちは特に自己表現(感情表現)は自然と抑えられることになるはずです。

場合によっては、二つが同時にあるなら、それはダブルパンチになってより一層の強い力で抑圧されることになるのです。

もしも3つの要素が全て該当するなら、つまりトリプルパンチの状態で育ったとしたら、自己表現などできなくなることは想像に難くありません。

自己表現が苦手だなという自覚があって、それをなんとか改善したいと思っているのでしたら、上記のような要素に心当たりがないかどうか、過去を見つめてみることです。

そして、該当するということであれば、効果的な癒しを進めていく必要があります。セラピストの力を借りてでも改善していければ、より自由な人間関係を築いていけるはずですね。

できるだけ遠くへ行きたい気持ち

高校生の時に同学年の女子の一人が、今話題のフジテレビに入社していわゆる女子アナになったのです。

もうかれこれ50年近くも前のことなので、多くの人はその人のことを知らないかも知れませんが、とにかくお茶の間の顔ですよね。

ところが、しばらくして彼女はアメリカ支局へと転勤してしまったのです。なんであの華やかな世界から、自ら遠ざかったのかなと。

少し疑問に感じていたのですが、最近のフジテレビにまつわる様々な情報を見聞きしていて、もしかしてと。

勝手な憶測に過ぎないのですが、女子アナの上納システムのような物があったなら、嫌気がさして海外へ行ったとしても不思議ではないなと。

人間と言えども動物なので、本能的に嫌な場所からは最も遠いところへと逃げたくなるのは当然のことですね。

海外留学などで若いうちに海外へ行く人が多いですが、異文化に触れたいとか語学を勉強したいといった目的があるのでしょう。

けれども、その奥には生きづらい家からできるだけ遠い場所に逃げたいという隠れた目的がある場合もあるのです。

人間居心地が良い場所から離れたいとは思わないものですからね。

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より自然な生き方を手に入れる

ネガティブな性格で生きるより、ポジティブである方が良いでしょうというのは、ほとんどの人に異論のないところではないかと。

日本語で言えば、後ろ向きな生き方よりも前向きな方が良いということです。同じことを体験しても、両者の違いは明白です。

他の言葉で表現するなら、否定的であることと肯定的であることの違いとも言えますね。これが要するに二元の世界です。

このどちらでもないのが非二元です。けれども、非二元という言葉を使う必要なんてさらさらありません。

私自身、非二元とは関係なくずっと以前から二元の世界を生きるよりも、そのど真ん中である中道を生きるのが良いのだと言い続けてきました。

自分のことをネガティブだと思っていると、ポジティブになりたいと願うのは当然のことですね。

真反対の方向へ行こうと頑張るわけです。実は一番大切なことは、今の自分を否定しないということなんですね。

ネガティブだろうが、否定的だろうが、まずはそれを受け入れることから始める必要があるということです。

それと同時に、そう思い込んでしまった原因をつまびらかにするのです。心の奥にある自己イメージをしっかり見ること。

そして間違った自己像を修正していくのです。それを癒しと呼ぶわけです。このプロセスを実践していくことで、自分の存在価値に気づいていけるのです。

その結果、ネガティブだろうがポジティブだろうがどうでも良いというところにやってくることになると、より自然な生き方になっていくということですね。

招き猫よりも、よほど効果がある方法とは?

自分の家には幼い頃からなかったのですが、どこかで「招き猫」のことを知るんですよね。大人になると、飲み屋さんなどに置いてあったりするのを見たり。

招き猫を好んでおいて置く目的は、欲しいものを招いてくれるという期待からです。それが幸せだったり金運だったりするわけです。

商売繁盛とかに効果があるなら、私も事務所に置いておきたいと思いますが、そんなことはないだろうと思っているので。

この招き猫は引き寄せの法則とも似てるかもしれないですね。招き猫は猫が都合のいいことを引き寄せてくれるのだと。

一方引き寄せの法則は、本人のエネルギーがそれに相当するような現実を引き寄せることになるということですね。

ただし、招き猫はどうだか知りませんが、引き寄せの法則となると都合のいいことばかりがやってきてくれるというわけにはいきません。

自分自身の内側に溜め込んできたエネルギーに相応の現実が、外側の世界からやって来るわけですから。

だから、悔しい気持ちや悲しい気持ち、あるいは惨めな思いなどで溢れていれば、それを一層強化するような現実がやって来ることになると。

ならば、自分の身に起きることはある程度仕方ないとしても、内側ではなるべく平穏でゆったりした状態でいられるように務めることは意味があることですね。

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幸せを求めるのか、快楽を求めるのか?

誰の心の中にも幸せを求める部分と、快楽を求める部分が同時に存在していると思っています。そして、この二つは全く似て非なるものです。

幸せというのは、一般的に穏やかな気持ちでいられるというイメージがありますが、快楽というのは興奮を伴うイメージがあるからです。

たとえば、復讐心。理不尽な目に遭わされた相手に、何らかの報復をしようと計画している時、あるいは実際に復讐を果たした時。

そのどちらにしても、虎視眈々と狙っている不気味な目つきや、ざまあみろと言ったような歪んだ快楽をイメージできますね。

このようにその違いを見てみると、快楽を求めるのはより動物的な発想に近いのかなと。つまり、生存に関わる感じがするのです。

やられっぱなしで心が傷ついたり、その苦悩からくる不快感から逃れるための行動とも言えるのです。その反面、幸せを目指す動物はいません。

幸せというのは人間だけが求めるあくまでも精神的なものだということですね。この両者の違いを認識しておくことです。

そして、自分が今幸せを求めているのか、それとも一時的な快楽を求めているのかをしっかり見極めること。

善悪で判断するのではなく、ただ快楽を求めてそれを手に入れたとしても、その先に幸せが待っているというわけではないこともしっかり理解しておくことですね。

酒の席で人間関係を作るという悪しき習慣

このところのフジテレビで問題となっている女子アナ接待疑惑ですが、根っこに二つほどの事柄があると思っています。

一つは、より円滑な人間関係を作る上で飲み会は必要と考えている人、あるいはそれを喜びとする人たちがいるという事実。もう一つは、飲み会を接待として使うときに女性を当てがう文化があるという事実。

この二つは分けて考えた方がいいのですが、世間ではごちゃ混ぜになっているのかなと。今日は前者の話をしたいのです。

巷でよく聞くことですが、酒の席で互いにざっくばらんに打ち解けることで、それがそれ以降の良好な人間関係に役立つと。

特に仕事で同じ職場同士とか、仕事中ではなかなか本音で話すことができないので、その分親しくなることが難しいのだと。

そういった心のブロックをはずして、より緊密な人間関係を構築することでいい仕事に繋げることができると。

でも冷静になって考えて見ればわかることですが、アルコールが入ってリラックスするのはいいですが、脳の活動を半分くらいマヒさせた状態で作られた関係性がそんなにいいものだろうかと。

私の個人的な経験によれば、宴会でリラックスして深い話ができたとしても、翌日職場に行けばまた普段の関係に戻るのです。

そして、仕事上の人間関係を構築するのにお酒の席が必須であると感じたことは皆無です。もちろんこれは人にもよるのでしょうけれど。

宴会をするのに、まことしやかな変な理由づけをするのをやめて、ただそれを楽しみたいという人だけで楽しめばいいのです。

気が向かない人をわざわざ誘うのも野暮だし、お誘いを断るのをためらうような文化はもう終わりにした方がいいと思いますね。

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ウソって隠し切れない

賢いごく一部の動物を除いて、ウソをつけるのは人間だけだと思うのですが、私たちはウソによって幸せになったり不幸になったりします。

ウソも方便というように、悪意のないウソ、人を労わるためにつくウソというのもあったりします。

あるいは、ウソによって人間関係に奥深さが生まれたりするということもあると思うのですが、どうでしょうか?

その一方で、逆にウソによって人を騙したり、自分を守るために他人を欺いたりと言ったことが起きます。

これは人類が自我ベースで生きている限りは、なくならないものだと思って間違いありません。

ただし、ちょっと注意深く他人の言動を見つめれば、ウソというのは隠し通すことは難しいのだろうなと。

フジテレビの10時間以上にわたる記者会見を見ていて、ウソが丸分かりしてしまうような場面が何度もありました。

きっと、それがウソだとバレようと、その場を取り繕うことができればそれでいいということなんでしょうね。

人類が進化して、確実にウソが伝わってしまうようになったら、ウソがつけなくなって、人は楽な人生を生きていけるようになるはずです。

フジテレビ、さあどうする?

今起きているフジテレビ絡みの騒ぎというのは、たまたま起きたことではなくて、時代の必然ではないかと感じています。

多くの人々が薄々感じていたどす黒い事柄が、ネットの台頭によって表舞台に出てきてしまったというだけの話ではないかと。

誰かが言っていたのですが、メディアというのはある意味原爆よりも大きな影響力を持っているのだと。

これまでオールドメディア(テレビや新聞など)がどれほど国民を洗脳する最強の道具として使われてきたことか。

メディアと政治と芸能界が密接に関係し合って、三つ巴で闇を隠す力学のようなものが潜んでいるのでしょうね。

これはもちろんフジテレビだけの問題ではないので、今後もこれはずっと長引いて少しずつつまびらかにされていくのかなと。

人間というのは欲深いもので、都合の悪い事実はほんの少しであろうとも隠そうとするということです。

あまり期待を大きくせずに、淡々と事の動向を見守りたいと思いますね。

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信じるより疑う冷静な目が大事

小学生になると、誰もが教科書を当てがわれるようになって、妄信的にその内容を健気に信じてしまうのです。

この内容を信じていいのかどうかということも考えたこともないし、そういう意味では一点の曇りもない信じ込みの状態です。

これはきっと自分というものがまだ確立していないがために、そうした状態が続くことになったのではないかと思うのです。

図書館で本を借りて読んでも、その内容の真偽を疑うなどということを考えたこともなかったと記憶しています。

本を書く人はすごい雲の上の人に違いないのだと信じて、疑うことなど全くなかったのですね。それは、新聞なんかも同じです。

そして、テレビのニュース番組で伝えられる事柄も、そこに嘘など入り込む余地はないと勝手に思っていましたね。

テレビでこの食材が健康に良いと放送されると、スーパーでそれが売り切れてしまうとか、この健康法がいいと放送されれば、多くの人がそれを実践するのです。

この状態がずっと続いてしまう人も世の中にはいるのかもしれませんが、私の場合はどういうわけかその妄信がいつの間にやら完全に消えてしまいました。

何年か前に自分で本を執筆したということもあるかもしれませんが、気がつくと一般の書籍はもちろん、テレビや新聞などのメディアからの情報を全く信用しなくなっていたのです。

参考にはするのですが、いいとこ取りというのか、常にそうした情報からは一定の距離を持って見聞きするということが当たり前になりました。

私が長く敬愛してきたoshoの言葉であっても同じです。すると、どういうつもりでそのようなことを言ったのかを、自分なりに深掘りできるようになったのです。

やはり単純に信じるよりも、いい意味で疑うという懐の広さを持っていることが、大切なのではないかと思うのですね。

ふと楽になる瞬間

生きていれば、誰だって大なり小なり心が揺さぶられる事象に遭遇してしまうことがありますね。これは避けて通れません。

だとしたら、起きることは起きてしまうので、そうした出来事になるべく反応しないようにできたらいいということになります。

そのための工夫というのが、色々あると思っていて、スピリチュアルだろうが非二元だろうがうまく利用できるのではないかなと。

例えば私の場合なのですが、一昨年ハワイの物件を売却した時に天引きされた税金に対する還付金が戻ってくるはずだったのです。

その一部は昨年戻ってきたのですが、残りの2/3 がいまだに戻ってきていないのです。これって、日本で言ったら異常事態ですよね。

私にとってはかなりの高額が戻ってこないという現実をどう受け止めていいやら、考えれば考えるほど心が乱されるのです。

ところが、ふと気がついたらその苛立ちやらもどかしさなどの負の感情が、すごく少なくなっていることに気づいたのです。

自分の中では、起きることは全部中立という考えとか、今日1日に限定して生きるとか、実体なきこの世では何も起きてはいない、こんなことを総動員しているのかも。

どんな方法でもいいので、要は起きていると思われる事象に惑わされないようになるなら、ふっと気楽な感覚になれるということですね。

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