愛の対象は「存在」

野球の大谷選手のことが来年度の多くの教科書に載るらしいという情報を小耳に挟みました。それにしても凄い人気ですね。

すぐに私がイメージしたのは、C国の教科書にその国のトップのことがズラ〜っと掲載されているということ。何かそれとダブってしまったのです。

流石にそれと比べるのは申し訳ないとは思うのですが、「大谷愛」のような言葉を聞くと、大丈夫かな?と思ってしまうのです。

というのも、スポーツ選手の人気って結果が出ている時はいいのですが、少しでも結果が出なくなってしまうと、急激に萎んでしまうからです。

そしてもうダメだなと思われたら最後、どれほど人気があったとしても誰も鼻も引っ掛けない状態になってしまうのです。

そんなご都合主義に「愛」という言葉が張り付いていると、子供はもしかしたらそういうものを愛だと誤解してしまうかもしれません。

あるいは、子供自身が成績で結果が出ているときには賞賛されて、結果が出なくなると無視されるという惨めな姿を連想してしまうかもしれません。

愛の対象は能力でも姿形でもなく、「存在」なんだということを子供達に理解してもらえるような教育が必要だと思いますね。

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