私たちの多くは、気がついた時にはもうすでに何かを目指して生きていたのです。目指すものは常に未来にあるのです。
より大きく、より賢く、より強く、より速く、より豊かに…、これがいくらでも続くのです。そして人生のどこかで、ふと気がつくのです。
なぜいつもどこかに向かって駆り立てられるように進もうとするのか?まるで、走り続けていないと、深い泥沼にでもはまりこんで沈んでいってしまうかのように。
こうしたことの原動力となっている根っこには、自分には何かが足りていないという漠然とした感覚があるのです。
それを補おうとして、鼻面に吊り下げられた人参をどこまでも追っていく馬のような人生を生きて死んでいくわけです。
ではその何かが足りてないという感覚はどこからくるのか。ここからは私の考えですが、それは分離感からやってくるのです。
産まれたばかりの赤ちゃんはまだ全体と一つでした。その状態では完全に満たされているのです。なぜなら、全体というのは過不足とは無縁だからです。
ところが、自我を持っている親に育てられている間に、ゆっくりとこの全体である実世界の中から自分という個別の存在を生み出したのです。つまり全体から分離させられたのです。
この世界は空間とその中にあるモノ、自分や他人や机やおもちゃといったもので構成されているという見方をするようになったのです。
この見方は左脳の発達と関係しているのです。そしてその後は、人間社会で生き抜くために、左脳が大いに活躍するようになるわけです。
ただ残念なことに、左脳がフル回転して足りないものを外の世界から手に入れたとしても、その根底に分離感があり続けるので、満たされることは決してないのです。
宝物は外側には決して見つけることができないわけです。ではどうしたらいいのか?幸運なことに、まだ左脳による分離の見方が始まる前に内在していたものがあるのです。
それが右脳です。右脳は、左脳が活動する前からあって、どこにも分離など見ることはありません。それが今でもそのままにあるのです。
右脳には、過去も未来も時間も分離もありません。その世界に戻ることができれば、不足感もそこからくる欲望も全てが消えてしまうでしょうね。
追記:
とはいえ、左脳さんは決して悪い奴ではありません。それどころか、これまで普通に社会生活を送れてこれたのは、ひとえに左脳さんのおかげなのです。そのことを決して忘れてはいけません。
左脳さん、これまで本当にどうもありがとう!そして、これからもよろしくお願いしますね。