信じることより信頼の方が好み

人生というのは、信じていることで構成されていると言っても過言ではありません。そのくらい、信じることのパワーというのは凄いのです。

強く強く信じて、それを妨げる別の信じ込みがなければ、それが現実化していくことは確実なのです。そうやって望みを叶えている人は実際にいるわけで、羨ましい限りですね。

さて、信じること、強く信じれば信念と言っても良いのですが、それと信頼とは似て非なるものなのだということを書きたいと思います。

信じるという場合には、信じる対象というか特定のターゲットが必ずあるのです。昨日のブログの例を使えば、「お金がなければ生きていけない」という信念。

それに対して、信頼というのはどんな対象もありません。というよりも対象を必要としない心の状態であると言えます。

結果に執着しないとか、委ねるとか、お任せ状態のような、心理状態のことなのです。だから、信じることとは根本的に異なるのです。

何かを信じてしまえば、その内容の如何に関わらず、それが強くなればなるほどそれにしがみつくことになります。信じていることと同化してしまうわけです。

また何かを信じると、その真逆が自動的に発生します。つまり、「お金がなければ生きていけない」を作れば、それを信じるかどうかは別として「お金がなくても生きていける」も生まれるわけです。

つまり信じることには、必ず表と裏が存在するのです。これが二元性の世界で起きていることと同じです。二極化しているものを、真逆にするのは骨の折れることです。

一方の信頼というのは、表も裏もありません。そういう意味では非二元ということもできますね。私の好みは非二元なのです。

できれば信じることや信じないということから解放されて生きていきたいという願いを持っています。とはいうものの、ネガティブビリーフ、否定的な信念はいまだにごっそりありますけどね。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です